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私は菅田将暉に何を求めているのだろうか

気になる。菅田将暉が気になる。ザ男前という感じではないのに漂うイケメン臭。何か心の奥底に秘めていそうなミステリアス感。他の追随を許さないオシャレ感。

すでに5年以上日本演劇界の顔として活躍している彼に今更何言ってんだと思うかもしれないが、海外で生活していると日本のテレビ・雑誌・広告などの受動型メディアの情報操作によっての「へー今こんなの流行ってんだ」「この人最近よく見るな」という機会が激減するので、こういった流行には疎くなるのだ。恋するフォーチュンクッキー(2013年発売)なんて2年後くらいに踊ってみたいと思ったが、もう流行は終わってた。

さらに、固有名詞は(テレビなどで耳で聞く機会が少ないため)字面で先に覚えてしまい、長いこと「かんだまさき」と読んでいた。松田聖子と結婚して離婚した土曜日の朝にしか見ない石原軍団の俳優と同じ音でややこしいなぁと長いこと思っていた。

そんなこんなで一足も二足も遅く「すだまさき」を気になり出した私は能動的に彼を求めた。

だが思うようにハマらない。

もともと気になり出したらハマるのは容易な体質なのだが、菅田将暉はハマりたいのにハマらせてくれない。(なんだそれ)

ハマる用意も出来てるのに。

沼に飛び込む準備体操もしたのに。

何故だ。

そんな私の私のための私による菅田将暉に対する雑記

(以上、以下の文章での個人名に対する敬称略)


菅田将暉のラジオ


菅田将暉の声が好きだ。「ええ声〜」(©️おかけんた)といつも歌を聴きながら思う。何回も「まちがいさがし」をした。

こんなに声が好きなら菅田将暉のオールナイトニッポンを聞かないとってことで聞いてみた。

海外生活で日本語が、というか関西弁が恋しくなり、YouTubeで関西のお笑い芸人のラジオを聴きながら眠るのが日課になって早9年。(就寝中にイヤホンの耳の部分が背中の下に入って痛みや異物感で眠りが浅くなる支障あり) 

なんと菅田将暉は大阪出身。ええやん、ええやん、と思いながら聞いてみたら、

「なんかちゃう」

求めていたラジオと違った。

まず声のボリュームが大きい。肩の力抜いてこーぜー、と聴きながら呟いてしまう。

この点に関しては私が好んで聴いているお笑い芸人のラジオが原因になっている。お笑い芸人のラジオはテレビや劇場でのハイテンションはなく、ゆるくコンビ同士であーでもないこーでもないってローテンションでダベっている。そして面白い。「ダイアンのよなよな」でのユースケなんて声が低過ぎて耳が慣れるまでマジで何言ってるか分からなかったし、「霜降り明星のオールナイトニッポン」では二人は声の音程?声質?が似てるのか聴き分けるのに時間が掛かった。でもローテンションにダベっているように聴こえてるだけでそこはプロフェッショナルなので、もちろん気合を入れて頭を使ってラジオをしている。「岡村隆史のオールナイトニッポン」ではパーソナリティ歴25年以上の岡村が「ラジオ終わりはテンションが上がってるので寝つくまで時間が掛かる」と言っていたことからも分かる。菅田将暉はお笑い芸人ではなく俳優なので、お笑い芸人のようなラジオを求めてもしょうがないんだけど、聴きながら眠りにつきたい私のニーズには合っていなかった。

そして一番引っかかった点が、

自分の話に自分でめっちゃ笑うこと。

舞台かってくらい腹式呼吸でお腹から「ハッ、ハッ、ハッ」って笑う。ええ声なんだけど、そのええ声は求めてないっていうか。

まずここで考慮しなきゃいけないのは彼は1人でラジオを行なっているため必然的に1人で喋って、1人でツッコミ、1人で進行していかなければならないということ。家で1人喋りをしたことがあるような精神が少し不安定な方なら分かるかもしれないが、これを番組として成立させることは(しかも生放送)めちゃめちゃ難しい。にも関わらず天下のオールナイトニッポンのパーソナリティを3年以上も務めているという事実は尊敬でしかない。なのでここで私が言っていることは完全なる私の嗜好であって、菅田将暉のラジオパーソナリティとしての能力はなんら曇りなく素晴らしいということは強調しておく。

話を戻すと自分のエピソードトークを自分でフって、自分でオトすのは1人喋りなので理解できる。だけど、笑うのは横にいる放送作家に任せた方が絶対良い。というか横にいる放送作家が彼の話にいつも“オーバーなくらいに”すでに笑っているので、彼は喋っている声に笑いを乗せる(含む)くらいでちょうど良いと思う。そんなに食い気味で自分で笑われると、そのエピソードトークが面白いのか面白くないのかも分からなくなってしまう。横にいる放送作家からだけでなく喋ってる本人からも強制的に笑わせようと、誘い笑いみたいな笑い声が聴こえるのはやり過ぎに感じた。ゲスト回は1人喋りではなくなるので比較的楽しく聴けた記憶がある。


菅田将暉の映画


映像に話を移す。

菅田将暉には色気がある。

だが映画では私の求めている彼の色気は拝めたことがない。

見たことがある映画は、「セトウツミ」「溺れるナイフ」「生きてるだけで、愛。」少ない。ドラマは一本も観たことがない。これだけしか観てないのに語るな、という批判は全力で受け止めるし同意する。

「生きてるだけで、愛。」は菅田将暉が抑えられていた。彼を観る映画ではなく、趣里を観る映画だった。良い映画だった。私の求めていた菅田将暉ではなかったけれど、趣里演じる寧子にキレて睨むシーンは綺麗だった。役としても初めて感情を出したシーンだったのでとても印象的だった(記事見出し画像のシーン)。

「溺れるナイフ」はジョージ朝倉の原作漫画が大好きなので、あのストーリーを2時間ほどにするのには無理があったと思うし、誰が演じてもコウちゃんには無理があったと思う。でももしコウちゃんが菅田将暉じゃなかったら観ようともしないだろうし、あのコウちゃんを今生きている俳優で誰が演じることができるのかって言ったら彼しかいないだろう。白髪のような金髪は神がかり的に似合っていた。ただ私の求めていたコウちゃんではなかった。小松菜奈も好きだしすごく綺麗だったけど、夏芽ではなかった。大友はすごく良かった。広能さんも漫画より若くなっててビックリしたけど雰囲気出てた。原作愛のせいで菅田将暉が霞んでしまったのが原因か。

「セトウツミ」は映画としては大好き。でも彼より池松壮亮の方が良かった。二人の掛け合いの舞台劇みたいなものなのでニコイチなんだけど、池松壮亮の方が印象に残る役を演じていただけかも。

と、このように菅田将暉ありきで映画観たのに菅田将暉が印象に残ったわけではないという現実。

これ以外で菅田将暉が気になるならこれ見とけっていう映像作品教えてください。(切実)


結論がない結論


以上のように、ラジオでも映画でも菅田将暉から私が求めているものを得たことがない。

期待値が高いのだろう。しかも偏った期待だ。だから肩透かしをくらったような気になる。

彼の出演している作品を必ず見ているわけではないし、ラジオも上記の理由で聴いていないのに、でも何故か気になり続けている。沼に落ちるギリギリで足がすくんで飛び込めないでいるような状態がずっと続いている。

私は菅田将暉に何かを求めているのに、何を求めているのかよく分からないままだ。

長々と菅田将暉のことを書き連ねてみたところで結局答えは出なかったが、これからもよく分からないまま菅田将暉を求めるだろうことはよく分かった。

ほんの些細なことでクリックしたら、あとは底無し沼というワクワク感。菅田将暉恐るべし。

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