フェルナンド・フベーロ、パラグアイを征服したスペイン人

マシア出身のカタルーニャ人監督は、大西洋の向こう側で真のスターである。攻撃的で魅力的なプレースタイルで、フェルナンド・フベーロはパラグアイのサッカーに革命をもたらし、南米で名を上げた。国際サッカーに強い男の肖像とは。
フェルナンド・フベーロは、1974年2月27日にバルセロナで生まれた。カタロニアで若年カテゴリーの育成に専念し、2003年にFCバルセロナBのプレーヤーオブザーバーおよびアナリストとしての仕事を始めた。それと同時に、彼は小学校の教師としても勤務している。彼にとってすべてが変わるのは2008年のことだ。カタルーニャ人は、カタールのアスパイアアカデミーに採用され、世界中のさまざまな国で新しい才能を求めて働いてきた。各国を転々とする中、フェルナンド・フベーロは南米、より具体的にはパラグアイを訪れた。彼はまだ知る由もなかったが、この国で彼は栄光を知ることになる。


グアラニーでの栄光の始まり

2012年、グアラニー・デ・アスンシオンはスポーツディレクターとしてフベーロを雇用する。クラブの意図は、新しいシーズンの変更事項の一環として、彼のバルサBとカタールのアスパイア・ドリームズ・アカデミーでのスカウト経験を通じて、事業体のサッカー的な基盤を強化することにあった。フベーロの目標は、グアラニーを選手を買うチームではなく、下位カテゴリーと連動して育成を行うチームにすることだった。2013年半ば、ディエゴ・アロンソの退任後、暫定的にチームの技術的な指揮を執り、グアラニーは前記リーグ戦を準優勝で終えた。
前期リーグ(アペルトゥーラ)と後期リーグ(クラウスーラ)は、南米の一部のサッカーリーグによって採用されている近年の改革であり、その目標は、年間のリーグ戦を2つに分割することによって(8月から5月までの)ヨーロッパのカレンダーに合わせることにある。これにより、年間2つのリーグタイトルが与えられる。そうこうするうち、ウルグアイ人の新監督、グスタボ・ディアスが任命されるが、クラブはフベーロをほどなく監督の地位に戻した。

2015年のコパ・リベルタドーレスでは、フベーロ率いるグアラニーはラウンド16でコリンチャンスを、準々決勝でラシン・クラブを撃破し、準決勝で優勝チームとなるリーベルプレートに破れた。チームは前期リーグを2位で終えた。彼のリーダーシップの下、グアラニーはゴール前で最も効果を発揮するチームのひとつとなった。これらの戦績により、カタルーニャ人はブラジルのサンパウロやクルゼイロといった、南米最高のチームのいくつかから渇望される存在となった。フベーロは、スポーツディレクターとして1シーズン、監督として3シーズンのグアラニーでの計4シーズンを成功裡に終え、その間欧州からの称賛を受けるに値する、攻撃的スタイルのチームと緻密なパスゲームでパラグアイのサッカーに革命をもたらし、歴史に残るグアラニー・デ・アスンシオンを離れた。


オリンピアでの不運な回り道

2016年2月、フベーロは前記シーズン初めにオリンピア・アスンシオンに着任し、下位からなんとかチーム順位を2位までに引き上げた。さらに、スペイン人監督はチームに最高の攻撃力を与えることにも成功した。ただし、この統計はクラブのシーズン中には反映されず、2016年の前期リーグは準優勝に甘んじなければならなかった。2位はフェルナンド・フベーロのキャリアでこれが3回目となる。続くソル・アメリカ戦に敗北した後、リーグ戦残り4節、首位グアラニーに5ポイント差を残し、フベーロは辞任を発表した。チームを率いた9か月の間に、スペイン人は39試合でチームを率い、合計26勝、5引き分け、8敗を記録した。グアラニーの元監督の堂々たる記録である。


フェルナンド・フベーロ、ついにチャンピオンに


2017年12月12日に、フベーロはクラブ・リベルタードと契約した。クラブは2016年前期リーグに優勝したばかりであり、彼の契約は大きな挑戦だった。フェルナンドがトロフィーの獲得を三たび失敗した後、敗者の評判がついて回っていたため、彼の着任には嘲笑もあった。しかし、彼は中傷する者たちを黙らせ、呪いを破り、3連続の2位の後、2017年の前期リーグを優勝で飾った。こうして、彼は監督として彼の最初のリーグ戦を勝ち取った。攻撃的なサッカーを彼のチームで実現し、パラグアイのサッカーに革命をもたらした男に対する、当然の報酬であった。また、コパ・スダメリカーナで準決勝に進出するという好結果も得ている。

フェルナンドは通常4-4-2でゲームを進める。そしてそのフットボールは整然としており、堅実な守備で、サイドのプレーヤーが攻撃的に出ることはあっても決して守備の視点を見失わない、中盤とサイドのプレーヤーがやや攻撃寄りに参加しつつ入れ替わることを求められるために、攻撃と守備のトランジションが非常に速いものである。
リベルタードは、ラインを引き締めてコンパクトで堅牢なブロックを作る方法を知ることで、パスを作るスペースや個々のアクションを実行するスペースを非常に見つけにくくさせ、相手チームが最前列のプレスで方向を変え、指示し、強制しようとする場合には、チーム全体で上下に動き、相手チームをサイドに押しやって中盤を自軍のものとするようになった。この待望のタイトルにもかかわらず、フェルナンドは手術が必要な背中の問題のために辞任を余儀なくされている。


再び始まる呪い

彼の背中の問題は解決し、フェルナンド・フベーロはシーズンの前半の成績が悪いため解任されたルイス・スベルディアの後任としてパラグアイのクラブ、セロ・ポルテーニョと契約した。3度目のオプションを持つ新しい2年の冒険である。セロでは、彼はクラブのすべてのサポートを受けており、クラブは彼に多くの新しい補強と高い品質の施設を備えた新しいスタジアムを用意した。しかし、セロ・ポルテーニョで彼は永遠の2位の名の通り、2018年後期リーグと2019年前期リーグ(以前のクラブ、オリンピアの下位)を2位で終えた。唯一のいい結果は、コパ・リベルタドーレスでは困難なグループリーグを首位で終え、ラウンド16に進出したことだった。
セロ・ポルテーニョの布陣はクラシックではあるものの、多くの動きを伴うものだ。チームは4-4-2でプレーし、動かすのは非常に難しく、攻撃のために脱組織化する方法を知っている。だがいくらピッチでの布陣がよくても、準優勝という新しい位置は、タイトルを獲得したかったクラブ経営陣からはあまり快く受け入れられなかっただろう。それに加えて、スペイン人監督側での小さな食い違いがあり、2019年5月20日、フベーロは彼の着任の9ヶ月後に、フロントとの相互合意により退任した。
戦績:48試合:国内リーグ41試合、コパ・リベルタドーレス7試合 28勝、10引き分け、10敗、91ゴール、51失点。

現在、無所属ではあっても、このカタルーニャ人が立ち直ることは間違いない。彼のパラグアイでの経験と、攻撃的で魅力的なプレースタイルにより、彼は大西洋の反対側で非常に価値のある監督となっている。彼の人気は南米で高いものの、欧州に戻ることも不可能ではないだろう。大胆な比較に思えるかもしれないが、フベーロはマルセロ・ビエルサを思い起こさせる。それは、チームに上手くプレーさせ、優勝を勝ち取れずともファンの間に真の熱狂を引き起こすのに、敗者のレッテルを我々が貼ってしまう類の監督である。ビエルサのように、フェルナンド・フベーロは観客にフットボールの世界の根本的な要素部分を思い出させるのだ。それは、フットボールとは結果の先にある心の高ぶりであるということである。

ミゲル・エルナンデス
@ Mig19Hernandez
https://www.furialiga.fr/2019/06/23/fernando-jubero-lespagnol-qui-a-conquis-le-paraguay/

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