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呼吸を止める癖を自覚する

言葉は通り道だ。
自分がどこに向かっているのか、どこに向かいたいのかを考えてみた時、使う言葉が分かってくる。何を話したいのか、迷子になった時に、風向きを示してくれる。

大きな声を出す必要は無いのかもしれない。
だけど不意に自分の声を聴いたなら、そこに、風が通る。
声ではなくて言葉かもしれないし、言葉でもなく、音かもしれない。
聴くべきは何だろうか。
ただその空気を切り裂いて、新しい景色が、向こうに見えただろうか。

誰かにその景色を見せてあげるために声を出すことは、できないのかもしれない。


「声がよく通る」のが良いとは限らない。「悪目立ちする」ことを避けられない。「声が大きいこと」は攻撃対象になる。どうしてだろうな。使うべき場所を探さなければ。


続きを話すのをやめた。自分が息をするだけなら、これ以上は必要ない。呼吸を思い出したのなら、もう自然な言葉を使えるよ。


「言葉たち」、一緒に来てくれてありがとう。


「みんな生きて」という言葉は乱暴だろうか。
それならば、言葉では乱暴にしか伝えられないのかもしれない。
乱暴にでも、押し戻したいための言葉だろうか。
けれども、ほんの少しでも、呼吸をすることを思い出せたら。言葉じゃなくていい。声にならなくてもいいから。
歌を口ずさもうとして、息を吸い込む感覚を。そのあとに続く歌が無いとしても。

一呼吸で行ける本当の距離を知りたいんだよ。



恐れ入ります。「まだない」です。 ここまで読んでくださって、ありがとうございます。 サポート、ありがとうございます。本当に嬉しいです。 続けてゆくことがお返しの意味になれば、と思います。 わたしのnoteを開いてくれてありがとう。 また見てもらえるよう、がんばります。