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三日坊主日記 vol.186 『一瞬と一瞬』

沢木耕太郎さんの「一瞬と一瞬」というエッセイの中に次のような一節がある。

 あれは小淵沢に住む友人宅で行われたクリスマス・パーティーでのことだったと思う。それぞれの子供たちがまだ小さかったから、かなり以前のことになる。
 そこに、野辺山の天文台で研究をしているという男性が来ていた。
 彼を含めて暖炉を囲みながら話していくうちに、ひとりが、UFOは存在するのだろうかという素朴な疑問を投げかけた。さまざまな意見が飛び交ったが、私は天文台の研究員の男性がこう言ったのが忘れられない。
 この広い宇宙には数千億個の銀河があり、各銀河に私たちの太陽系のような惑星系が無数にある。その中に太陽と地球の関係が似たものがないはずがない。それは宇宙のどこかに生命体が存在する可能性はあるということを意味している。
 しかし、とその研究員は言った。宇宙が現れて百四十億年、地球が生まれて四十数億年、そこに現代人に近い人類が登場したのが二十万年前。百四十億年を一日とすると、二十万年は一・二秒ほどにすぎないことになる。一日のうちの一・二秒。つまり、知的生命体としての人間が存在している期間というのは、永い宇宙の歴史の中ではほとんど一瞬にすぎないのだ。その状況は他の天体に生まれた生命体においても同じだろう。
 だから、と研究員は付け加えた。
「どこかの天体に生命体がいたとしても、その生命体が存在している時期と我々人間がいる時期が重なっていると言う可能性は極めて低い。しかも、その生命体が、この広大な宇宙の中から、米粒よりも小さい地球と言う天体を目指してやってくるという可能性は、ゼロに近い確率なのではないかと思います」
 私は、その説明に深く納得してしまった。地球以外にも生命体が存在する天体はあるかもしれない。だが、その生命体と私たち人類が遭遇する可能性はほとんどない。一瞬と一瞬は交わらないだろうからだ……。

沢木耕太郎/一瞬と一瞬 『旅のつばくろ』


子供の頃から宇宙人はいるのか、とか。宇宙の果てはどこにあるのか、とか。考えても仕方ないことを誰しも考えたと思う。


最近はそんな宇宙のことや、死後の世界なんかのことも物理学や量子力学で説明がつくというか、ある意味で信憑性のある仮説がたっている。


でも、どれもなんだか分かったようでよく分からない話なんだけど、この研究員の言うことは僕もとても腑に落ちた。時間や距離などを考えた確率でいうと、確かにそうかも知れないなと思える。いや、きっとそうなんだろう。


ただし、これは決して夢のない話ではなく、逆にとてもとても夢のある話だなと僕は思うのだ。いないのではなく、必ずいるはずだけど、なかなか巡り会うことができない間柄。なんだかとてもロマンチックな話ではないか。


天の川伝説も、竹取り物語も、こういう話を知る前と知った後では、感じ方が随分違うのである。今度の日曜日は七夕まつり。何か奇跡的なことが起こりそうな予感がしてきませんか。



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