見出し画像

三日坊主日記 vol.56 『違った視点で見る、哀れなるものたち』

僕の友人でとてもユニークな人がいる。
グラフィックデザイナーであり、クリエイティブディレクター。趣味が多く、いろんなことに造詣が深い人で、各方面に老若男女の友人も多い。

僕たちは知り合ってからまだ10年ほどしか経たないが、なぜか気が合って、東京と大阪に離れているにも関わらず割と頻繁に会う。同じ広告でもグラフィックと映像。近いようで遠く、遠いようで近い世界で生きていることが、良い具合に作用しているのかも知れない。

過日、僕は『哀れなるものたち』の感想を書いた。
正確には、感想という程のものではなく、酷い消化不良を少しでも和らげるために、感じた事をとりあえずメモした程度だけど。

僕も年間何十本か映画を見るが、ごく稀にどうしても咀嚼しきれない作品に出会う。良いとか悪いとかではなく、好き嫌いでもなく、とにかく僕の中で消化できない時に感想を聞いてみたくなる人が何人かいる。つまり、自分とは全く視点の違う人だ。前出の友人もそういう人で、この映画の感想を求めてみた。

数日後に来た返事は、良いところが全てにおいて見つからない。というものだった。相変わらず期待を裏切らない人である。その後、数日を経て更に感想が来たので、ここで紹介しておく。


この監督は今風なんでしょうね。そこがぼくの体質に合わないのでしょう。ぼくが思うに、アートっぽい感じと、欧州文化っぽい感じを、お洒落でしょうと魅せているところが好きになれないんです。

アートとは過去への否定と、過去の探究研究にあると思いますが、この監督にはそれが見えず、表層の部分を表現していると感じました。

文化とは人の歴史を指して、欧州のようなところはまた独自の歴史を持っていると思います。歴史コンプレックス、教養コンプレックスを持つ歴史のないアメリカ、また現代人の大勢に、欧州的ギリシア=ローマ、キリスト教文化圏の匂いは魅惑的に感じるだろうという、この監督のテーマ設定(前作同様)が好きではありません。

おそらく、彼はオペラ、オペラブッファなどに映画作りのヒントを得ているように思えます。言語の多さ、ヒステリックな要素、舞台的な耽美箱庭映像、全てオペラ的です。

ぼくはオペラを好んで聴いて来ましたが、オペラの一番良いことは感動的だと言うことです。つまり王侯貴族やお金持ちからのみ受けるモノではなく、庶民にとっても受け入れられるモノということ。つまり大衆的なものが偉大なオペラ作品であると思います。

とするとこの監督のオペラには、それがない。評論家と一部の愛好家を対象にしたと思います。市場を絞る事自体は全く良いのですが、問題なのはこの監督は人間に興味がないのではないか?とぼくに感じさせるところで、オペラ形式を借用している点です。


僕はこの感想を読んで、ほくそ笑んでしまった。そう来なくっちゃ。こういう視点の全く違う友人を持つことで、新たな視点を(持つ人がいることを)発見し、成長につながるんだと思う。ありがたい。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?