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三日坊主日記 vol.84 『お彼岸っていつだっけ』

知らない間に春の彼岸が終わっていた。
彼岸には墓参りをしようと思ったいたのに、行かないまま終わってしまった。

僕は小さい頃、母方のおばあちゃん子だったので、思い出の多くは祖母と共にある。祖母は神仏問わず信仰に熱心な人で、僕の宗教観は祖母によるところが大きいと思っている。

祖母の生活の中心は神仏への信仰であった。家には仏壇と神棚が四つあり、毎朝お供え物をして、拝む。夕方にはお供え物を下げて、拝む。氏神さまへも毎日お参りする。年末年始、お彼岸、お盆、すべてにおいてまずご先祖と神仏への感謝が最優先だった。

何か困ったことがあればすぐに神棚に手を合わせる。そして解決したらお礼の手をあわせる。解決しなくても手を合わせる。祖母は晩年よく病気をして入院した。何度も大きな手術を経験したが、何度も回復して戻ってきた。その度に神や仏に感謝をしていた。

ある時、病院で生死を彷徨っているときにお大師さんが枕元に来てくれて助けてくれた。と本人に聞いたことがある。祖母は浄土真宗なのだが、宗派を超えた信心をしていたのだろう。

祖母はいつも神仏に手を合わせて、大難を小難に、小難を無難にしていただくと言っていた。この考え方はとても有効で、何かよくない事が起こっても、これぐらいで済んで良かったと思える。怪我や病気、その他いろんなことに応用できるとても合理的な思考法。僕はこれを祖母に刷り込まれて育ったことを、とてもありがたく思っている。


祖父と祖母は戦後大阪で暮らしていたが。祖父は滋賀県の栗東の人で、墓もそこにある。だから毎日という訳にはいかないが、年末年始、春と秋の彼岸、そしてお盆には必ずお参りしていたような気がする。僕が小学校に上がる直前に祖父が亡くなり、その墓に入ってからは間違いなく年に最低5回はお参りしていた。

当時車がなかったんで電車に乗り継いで行った。あまりよく覚えてないが、大阪から栗東まで往復すると朝出ても帰りは夕方だったのではないか。いろんな意味で大変だったと思うが、欠かさずお参りした。

僕が運転免許を取ってからは、祖母を乗せて年に数回の墓参りにだけは必ず付き合っていた。仕事を始めてからも、忙しくなっても、不思議とそれだけは続けた。祖母が亡くなり、一緒に暮らしていた叔母や、うちの母を乗せて。うちの妻や息子たちや、親戚などと一緒に、何度も何度もお参りした。

しかし、皆がいなくなったり、高齢でお参りできなくなってくると、僕自身もどうしても足が遠のく。気になってはいるんだけれど、ついつい行きそびれてしまう。寂しいことだけど、仕方ないのかも知れない。

それを避けるために、母の墓は近所のお寺にした。母は早くに父と離婚して父の姓を名乗ったので、祖父母の墓には入れないし、入るつもりもなかったのでそうした。やはり実の母であるし、墓も近いので割とよくお参りするんだけど、この春の彼岸はお参りできなかった。というか、僕が春の彼岸がいつか分かっていなかった。恥ずかしいことだ。反省。

お彼岸は終わってしまったけど、できればお参りに行こう。
祖父母も墓にも。母の墓にも。


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