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島木健作 『第一義の道 赤蛙』

赤蛙

島木健作は数えで一七歳のときに肺結核を患い、四二歳で亡くなるまで病気に悩まされ続けた。
島木が「黒猫」「赤蛙」「むかで」「ジガ蜂」など「小動物もの」を書いたのは、一九四四年十一月から翌年にかけてのことで、八月に亡くなるまでの一年未満のことだった。
どれも最後の絶唱というにふさわしい作品だが、島木の「小動物もの」に特徴的なのは、病気の療養中に動物と出会うことと、その動物の「擬人化」にある。

「黒猫」は家にごみ漁りにくる堂々とした大きな黒猫が、母親の手によって始末されるまでの顛末を描く。
「主人持ち」の犬よりずっといい。人間ならば一国一城の主でもおかしくないのに、落ちぶれても決して卑屈になっていない、と好感をこめて書いている。「赤蛙」では、さらに擬人化が進んでいる。

赤蛙は何もかにも知ってやっているのだとしか思えない。そこには執念深ささえもある意志が働いているのだとしか思えない。微妙な生活本能をそなえたこの小動物が、どこを渡れば容易であるか、あの小さな淵がそれであることなどを知らぬわけはない。
赤蛙はある目的をもって、意志をもって、敢えて困難に突入しているのだとしか思えない。彼にとって力に余るものに挑み、戦ってこれを征服しようとしているのだとしか思えない。(…)その方が自分のその時の気持にぴったりした。


第一義の道

擬人化した動物に投影して、島木が納得しようとしているものは何か。講談社文芸文庫に「第一義の道」という中篇が入っている。これは戦前のマルクス主義運動で投獄された後に出所し、敗北のなかで少しずつ生活を取りもどしていく主人公の姿を描いている。
これを読むと、「第一義」というのはマルクス主義運動であり、病気や牢獄のなかにあっても一種の救済原理のようなものとして働いていたことがわかる。だから、「黒猫」「赤蛙」で批判されるのは、戦争へ加担した「時局便乗者」や「軍需成金」である。

秋の夕べ、不可解な格闘を演じたあげく、精魂尽きて波間に没し去った赤蛙の運命は、滑稽というよりは悲劇的なものに思えた。彼を駆り立てていたあの執念の原動力は一体何であったのだろう。それは依然わからない(…)
明確な目的意志にもとづいて行動しているものからでなくてはあの感じは来ない。ましてや、あの波間に没し去った最後の瞬間に至っては、そこには刀折れ、矢尽きた感じがあった。力の限り戦って来、最後に運命に従順なものの姿があった。

島木健作が「赤蛙は私だ」と言ったかどうかは分からない。が、赤蛙の姿に自分を見ていることはまちがいないだろう。そうはいっても、この作品が普遍的な価値を持つのは、忍び寄るおのれの死というものを前にして、人生を振り返り、運命を受け入れようとしている者の静寂があるからだ。
島木の言葉によれば「我と非我との完全な、円満な一致」を願うという、かつてマルクス主義の運動であったものが、ある種の宗教的な境地への探求へむかっていたのではないか。


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