マガジンのカバー画像

連載 「走り読み近代文学」

30
気候変動、円安にインフレ、感染症や老後への不安。不安定な時代を限りあるリソースで生き抜き、生を充実させる「教養」を近代文学にまなぶ
運営しているクリエイター

記事一覧

『ダブリンの市民』 ジェイムズ・ジョイス

ドゥブリナーズ ジェイムズ・ジョイスの『ダブリン市民』の原題「Dubliners」は、ダブリナー…

300
5

小説家が読むドストエフスキー

加賀乙彦の『宣告』 加賀乙彦の『宣告』という長編小説の舞台は、拘置所のなかでもゼロ番区…

12

チェーホフの 『可愛い女』と『すぐり』

チェーホフの音 「可愛い女」という小説には、さまざまな音があふれている。晩年のチェーホフ…

12

フランツ・カフカと「オドラデク」

となりのカフカ 池内紀の『となりのカフカ』によれば、カフカは半官半民の「労働者傷害保険協…

15

魯迅の『野草』

魯迅の『野草』 魯迅の『野草』は散文詩集であると言っていい。「このような戦士」という文…

9

魯迅の『狂人日記』

食人宣言 魯迅の同時代人で、1890年生まれのブラジルの詩人、オズワルド・デ・アンドラーデ…

9

『どくろ杯』『ねむれ巴里』『マレー蘭印紀行』 金子光晴

発端 冒頭の「発端」の節で金子光晴が書くように「四十年もむかしのことで(…)おぼつかないことも多いが、それだけにまた、じぶんの人前に出せない所行を他人のことのように、照れかくしなくさらりと語れるという利得」があるのが、本作『どくろ杯』である。 三三歳の金子光晴が一九二八年に上海へ渡り、それからマレー半島を縦断、ピナン島、スマトラ島を経由して欧州へ渡った五年に亘る旅行を扱っている。これは『ねむれ巴里』『西ひがし』と共に、晩年に書かれた自伝三部作となっている。 まず最初に強調

石川淳の「山桜」

無頼派と幻想小説 戦後、太宰治や織田作之助らと共に、石川淳は無頼派と呼ばれていた。しかし…

13

太宰治の「猿面冠者」「トカトントン」

猿面冠者 太宰治の「猿面冠者」(『晩年』所収)という初期の短編を読んで思い出すのは、フィ…

13

島木健作 『第一義の道 赤蛙』

赤蛙 島木健作は数えで一七歳のときに肺結核を患い、四二歳で亡くなるまで病気に悩まされ続け…

7

正津勉の『河童芋銭』『風を踏む』

評伝小説 詩人・正津勉の小説『河童芋銭』を読んだ。日本画家・小川芋銭の生涯を描く初めて…

9

黒島伝治『渦巻ける烏の群』

プロレタリア文学 プロレタリア文学には、長い年月の評価に耐えるものと耐えないものとがあ…

8

折口信夫 『死者の書』

「死者の書」への批判 文芸評論家の本多秋五は、短文「『死者の書』メモ」のなかで、「死者…

16

柳田國男の『海上の道』

詩的感受性 小林秀雄は「信ずることと知ること」(『考えるヒント3』)というエッセイのなかで、柳田國男の感受性に感動したと書いている。柳田國男がその著書『故郷七十年』でいうには、十四歳の頃、死んだおばあさんを祀った祠を開けたときに、中風だったおばあさんがいつも使っていた蝋石を見て発狂しそうになったという。 小林はこの石におばあさんの魂を見るような感受性がなかったら、柳田の学問はなかったと喝破した。柳田の最後の著作『海上の道』についても、同じようなことがいえる。それは学問であ