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自己紹介#3 アサイーの技術革命、その時に

こんにちは。
本日はフルッタフルッタの創業ストーリー第3話、
アサイーのビジネスをはじめるに至った経緯をお話したいと思います。

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アマゾンの日常食

アマゾナス州やパラ州でクプアスの調査を開始した頃から、街の至るところで目にしていた光景
太めのステンレスの筒の中で、硬そうな果実をガラガラと音を立てて搾り、黒くてドロリとしたピューレを販売するスタンドを見かけました。

街のアサイー屋で使用されている搾汁器の写真
街のアサイー屋で使用されている搾汁器

お客さんは老若男女を問わず混んでいて、みんな一様に白いフリカケのようなものをトッピングして美味しそうに食べているシーンを幾度となく見てきました。
地元民の日常食ともいえるこの黒い食べ物は、正直なところ、
私には美味しそうに見えなかったのでいつも素通り
これが私のアサイーに対する最初の印象でした。

アサイーのピューレにキャッサバ芋のフレークをかけて食べる現地食の写真
アサイーのピューレにキャッサバ芋のフレークをかけて食べる現地食

アマゾンでしか食べられない奇跡のフルーツ

アサイーはヤシ科の一種で、20メートルほどに成長します。
アマゾン川流域の潮汐のある河岸に生育し、ほうきのような大きな房に多数のブルーベリー大の果実が実ります。

房に鈴なりに実ったアサイーの画像
鈴なりに実るアサイー

自然のアサイーは、ヒベリーニョと呼ばれる川べりの生産者が木に登って房ごともぎ取って実を採取します。

実といっても約95%は種なので、大豆から豆乳を搾るように実を水でふやかし、僅かな果肉を外皮ごと削り取るというのが基本的なアサイーの搾り方です。

僅かな果肉に含まれる栄養素はそれは素晴らしい内容で、人や動物にとって、熱帯の過酷な気候条件で生き抜くための無くてはならない食糧として現地の先住民に利用されてきたのです。

栄養素は特にポリフェノール類やビタミンE等に代表される抗酸化物質が非常に多く、またヤシ科ということもあり、フルーツでは珍しいオメガ3,6,9の良質な脂肪酸を持つことが特徴です。
また鉄分やカルシウムといったミネラルが多いのもアンデスから豊富なミネラルを運ぶアマゾン川の恩恵だと思われます。

川べりに自生するアサイーの写真
川べりに自生するアサイー

実際、これほど多くのビタミン、ミネラル、繊維に、エネルギー源となる脂肪酸を併せもつフルーツは例がありません。

「奇跡のフルーツ」
後に米国や日本のような先進国でスーパーフルーツ、スーパーフードと言われるようになった所以です。

ただ、こんなに凄い存在にも関わらず、ブラジルでさえ産地以外の都市では1990年代までほとんど知られていませんでした。

その理由は栄養価が高いため収穫後の劣化がはやく、また可食部が少ないという条件が重なり、アサイーの青果をアマゾンから外部の都市部まで運ぶことが物理的にも経済的にもできなかったからです。

CAMTAの技術革命

アサイーを工業的に搾汁し、アマゾンから運搬できるようになったのは、日本のJICAの支援によってCAMTAが開発したピューレ加工技術のおかげです。

この偉大な発明は、世界のアサイー市場を作るきっかけとなった
重大な技術革命です。

街のアサイー屋が店先で販売していた規模のものが、
この加工技術のお陰で初めて殺菌、冷凍され、衛生的にブラジル中に、そして世界に大量に出荷できるようになりました。

CAMTAは寛大にもその生産技術を機械メーカーに開放し、多くの工場が同様の機械設備を使用してアマゾンからピューレを送り出せるようになりました。
米国でアサイーを販売する会社の製品も、2000年当初はCAMTAで生産していたのです。

工場で洗浄されるアサイーの画像
工場で洗浄されるアサイー

余談ですが、彼らの偉業を称える日として制定したのが「アサイーの日」です。
日本移民が乗った船がアマゾンにはじめて到着した日の9月16日を記念しています。

日本のパイオニアとして

この技術革新のお陰でサンパウロ、リオデジャネイロの大都市にアサイーが届けられるやいなや、サッカーの代表選手や格闘技界で大活躍を始めた柔術のグレイシー一族が飛びつきました。

それもそのはず、ブラジルで有名なトップアスリートはアマゾンの出身者も多く、アサイーは彼らの強靭な肉体を作るのに欠かせない食事だったのですから。

そんな理由も知らないメディアがアサイーを取り上げ、アマゾンの奇跡のフルーツと紹介すると一気にアスリートを中心に人気が高まり、一般に拡散していく様を私は現地で見聞することができました。

当時日本ではJリーグが立ち上がり格闘技ブームも起きていたので「これはいける!」と直感し、アグロフォレストリーの多くのフルーツの中からアサイーを中心にマーケティングしていくことに決めました。

2002年に日本に始めてアサイーを輸入し、文字通りパイオニアとしての一歩を踏み出したのです。

サッカー選手の画像

次号につづく。

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