データサイエンティストとしてのゼロからの出発① カエル研究者の苦悩

僕の本業は生態学者である。大学時代の4年生時にカエルの研究テーマと出会い、そこから10年弱、カエルの鳴き声について研究を続けてきた。そんな僕がどうしてデータサイエンティストとして歩むことになったのかについて書いていこうと思う。今回はそのいわばエピソードゼロとでも言うべき内容、つまりカエル研究者が10年目にしてなぜ専門分野を変えようと思ったのかについて書いていこうと思う。

また、この記事は現在進行形であり、連載という形で折を見て書いていくつもりだ。気になった人は追いかけてみてほしい。どんな結末になるのかは僕にも分からない…

博士課程卒業後の苦悩

僕自身は博士課程の間、かなりオリジナルな研究を行っていた。きっかけのアイデアは頂いたものの、そこから研究は違う方向に転がっていった。先輩がやってきた研究の続きというわけでもないし、指導教員とは専門とする分類群も現象も異なるし、実験手法や解析、考察など自分でいろんなことをゼロから考えたり情報集めたり学会で発表してコメントもらってブラッシュアップして…ともがきながら研究を進めてきた。もともとそこまで抜群に研究できる才能があるわけでない僕がそういう形で研究したせいもあり、博士をとるまでにも相当苦労した。ここらへんを詳しく話すと長くなるのでまぁそれは置いておいて、なによりも博士を取得した後が地獄だった。

仕事がないのである。

そもそも、研究者の就職活動はどのようなものか。これはこれで一つ記事を書こうと思っているので詳細はいずれ語るが、ふつうの若手研究者はポスドクとして雇われ先を探す。ポスドクというのは他のだれかが獲得した資金で行われているプロジェクトに雇われて研究を進めるような立場である(ことが多い)。

つまりポスドクとして仕事を探そうとすると、他のだれかがやっているプロジェクトがなくてはいけない。そこで問題が起こる。基本的に、雇われるのは自分のこれまでの研究と内容が似たプロジェクトである。例えばそれまでの指導教員や共同研究者が行っているプロジェクトに雇ってもらったりすることが多い。私のようにオリジナルで研究を進めていた人材はここで詰むのである。

博士取得すぐは業績も少なく、よっぽど優秀な人でない限り教員や巨大資金(学振・科研費など)の公募に応募しても採用される見込みは少ない。弱小研究者である僕はこの段階で不採用を受け続け無職同然になった。また、カエル研究者業界はいわゆる基礎研究と呼ばれるものの中でもそれほど人気がない分野だ。例えば昆虫や魚類は研究も盛んだし民間とのつながりもある。しかしカエル界隈はそうではなく界隈全体的にお金がない。従って、僕のことを研究者として評価してくれている先生方もたくさんいたが、いずれも僕のことを雇えるほどのお金は持っていないのだ。ここでもマイナー分野の悲劇が訪れる。当然、カエルの研究者を雇ってくれる民間企業もなく、途方に暮れていた。

ここで詰んでしまった僕は予備校講師をしながら空いた時間に研究を進めるほかなかった。しかしスキマ時間しか使えない状態では業績も思ったように伸ばせず、そうすると研究者として雇われることはない。他の研究者との差が開く一方だった。

このままじゃ一生このままである。「研究者も潮時かなぁ」と半ば諦め始めた僕に転がり込んできた話がデータサイエンティストだった。データサイエンスは簡単に言うと既存のデータを集めてきて分析するという、統計家のような仕事である。それがなんと未経験可(生態学ができればOK)という募集を見つけたのである。仕事をしながら学んでくれたらよいという。「今の手持ちのスキルでは厳しい→これまでと違うスキルが学べそうなポスドクを探したい→技術がないから採用されない」というループにハマってしまっていた僕にとって、願ってもないチャンスだった。これを逃してなるものかと面接にも必死で準備して挑んだ結果、好感触。こうして晴れて僕はデータサイエンティストとしての一歩を踏み出すことになった。

データサイエンティストとして働くことのメリット

マジで偶然の産物でデータサイエンティストになることになったのだが、この選択が良かったのかどうかはまだ分からない。ただ、みなさんが感じるよりは僕は好意的に考えている。

まず、今後の選択肢が増えたことがある。データサイエンス(機械学習)の分野は発展途上であり、今後様々な分野で必要になる可能性が高い。もしカエル研究者としての人生がダメになったとしても、企業や国立の機関なんかで働ける可能性も結構あると思っている。将来への不安が著しく改善されたのだ。これはカエル研究者一本の状態では到底為し得なかったもの。選択肢やセーフティネットの存在は、5年以下(ひどいものだと1年とか)の有期雇用が40歳前後まで続いて絶えずふるいにかけられることを余儀なくされる研究者にとって無茶苦茶大きいことだ。安心感が違う。

次に研究の新たな展開だ。研究者というのはどうしてもこれまで培った技術に依存してしまうが、そこで全く違う方向性の新たな武器を手に入れられたのが相当大きいと思う。これまでとは全く違う発想の研究だってできるかもしれない。新たな人脈と新しい共同研究ができるかもしれない。大きく道が広がった気分である。

従って、データサイエンティストとしての仕事が今は楽しくて仕方がない。ここのところは勉強をしてモデルを当てはめて頭をひねってという学生時代のような日々だが、仕事もお金もなくて絶望していたあの暗い日々からするとお金をもらえて研究や勉強ができるのは天国のような気分である。

これまでの自分の専門と全く違う分野に挑戦することの怖さはあった。しかし、自分の純粋研究者としての適性に疑問を感じていたことも事実である。研究者としてバリバリやっている人たちは、やっぱり天才なのである。研究を人生として捧げられるという言い方が合っているのかはわからないが、研究が趣味にもなっているように見える。僕は研究も好きだし楽しいけど、やっぱりそれだけじゃなくいろんなことをしたいと思ってしまう。結婚だってしたいし、子供だって育てたい。ゲームだってしたいし、休日には遊びに行きたい。僕には純粋研究者としてやっていくほどのスペックが足りていないから、それらの時間すべてを犠牲にして研究に捧げないとついていけないだろう。そんな人生でいいのかと思ってしまった。研究だけが人生じゃないのも事実である。

だからこそ、純粋研究だけの世界でなく、他の世界にもつながりながら研究できればいいなと僕は思っている。それが僕なりの研究者として幸せに生きていくためのひとつの解決法なのかもしれない。そんな風に思っている。


というわけで、門外漢の僕がデータサイエンティストとして歩み始めた話を締めさせてもらう。次の記事では生態学とデータサイエンスが意外にマッチしていた話など書いていきたいと思っている。ここまで読んでいただき感謝。

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