すべてのコンテンツは、相手の知りたいことが提供されていなければ価値がない

noteを書こうとするとき、会社で企画書や報告書を作るとき、プライベートと仕事は分けて発想してました。でもどんな状況・モノであっても「伝えたい相手」が見えていないと、コンテンツとして残念な結果になる。

…というのが、最近の学び。


◆noteをちゃんと理解して、今更感動してるわたし

以前もブログに挑戦しようと思ったことがあるけれど、何本か書いて、何人かフォローして、飽きてしまいました。今思えば、自分日記を書いて、他人日記を読んでも、なかなか楽しむことはできない。だって、どうでもいいから。

楽しめるとしたら、著者が自分の好きなタレントだったり有名人だったりする場合ぐらい。それは、有名人の私生活=自分の知りたいこと、だから。友達のインスタやフェイスブックには興味あるけど、同じような内容を投稿している見知らぬ女の子の情報には、全然興味ない。そりゃそうですよねー。


noteのことはあまり知らなかったけれど、マガジン別にフォローできるので、自分の興味あるコンテンツだけの情報を集めることができる。これって画期的。情報発信者は、「このコンテンツはコレを提供しますよー」って明確にできるし、受信者は「そうそう、コレが欲しかったのー」と情報をゲットしにいくことができる。ブログでできるのは、頑張ってタグ付け程度。それを考えると、やっぱりnoteすごい。


◆発信する情報=受信する人の興味関心。それって仕事でも同じ!

情報発信する以上、相手になんらかの情報提供するわけだから、仕事の報告書や企画書を書く時も、発想は同じ。


費用感が気になるポジションの人に説明する場合の内容、スケジュール感と効果測定の方法が気になる人に説明する場合の内容、伝えたい相手によって、その人が知りたいこと&知らせなきゃいけないことは変わってくる。


仕事関連の書類を書くとき、私はこの「だれ向け目線」がすっぽり抜けていて、「じぶん目線」でわかりやすく目的や課題、解決策をきれいにまとめていた。


どんなコンテンツも、伝えたい相手に沿った情報のまとめ方が必要。

結構難しいと思う。

(ぼやき:相手を無視して自分の好きなものばかり提供して、成功してる人っているのかしら。アートでさえ、なんらかの理由があって作ってるよね。)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?