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家事の内部化

労働供給制約社会の到来

 このところマスコミ等でよく取り上げられているリクルートワークス研究所のレポート「未来予測2040 労働供給制約社会がやってくる」。

 人口減少・少子高齢化の進行により労働力不足が深刻化し、2040年には約1,100万人の労働力不足に陥るというなかなか衝撃的な内容で、反響も大きいようだ。不思議なことに、他のシンクタンクからも同様のレポートが相次いで公表されている。

 このところのアフターコロナの景気回復に伴って宿泊業界や飲食業界で人手不足が深刻化していて、アルバイトの時給が上昇しているという話をよく耳にするが、これらのレポートが指摘するのはそういう景気循環的(シクリカル)な労働力の需給バランスといった話ではなく、人口減少という構造的な問題に起因する「絶対量としての人手不足」であり、それだけに非常に深刻な問題であるという点だ。
 もちろん、我が国は既に人口減少局面に入って久しく、生産年齢人口の減少によって将来的に労働力が不足するのは、まあわかってたといえばわかっていた話なのではあるが、リクルートワークス研究所のレポートによれば、労働力不足は特に輸送・建設・小売・飲食・医療・介護といった「生活維持サービス」の分野で今後深刻化すると見込まれており、レポートにもさまざまな具体例が挙げられているように、私達の日常生活に与えるダメージも相当に深刻なものとなりかねない。

家事の外部化

 さて、このようにレポートは特に「生活維持サービス」、すなわちエッセンシャル・ワークの領域で労働力不足が深刻化するとしているのだが、これらのエッセンシャル・ワークのうちの少なからぬ分野が「家事」と関連していることには留意しておく必要があるだろう。
 そもそも、家事すなわち子育てや教育、食事の準備や片付け、掃除洗濯、買い物、あるいは介護といったタスクは、かつてはその大部分が家庭内(あるいはその家庭が存する地域コミュニティ内)において対処され、しかもその多くはもっぱら女性が担うべき役割とされてきた。
 しかし、近代化の過程でこれらのタスクは家庭から「外部化」され、有償のサービスとして企業や政府などによって提供されるようになった。
 ・子育て→保育・学童、ベビーシッター
 ・教育→学校・塾
 ・食事の準備や片付け→外食・中食、
 ・掃除洗濯→クリーニング・ハウスクリーニング
 ・買い物→通販・宅配
 ・介護→介護サービス
といった具合である。
 家事が外部化されることで、さまざまな家事支援サービスが「産業」として確立してきたというのが近代化のプロセスであり、私たちは家庭内で自分たちが(無償で)対処してきた家事というタスクの多くを、今日では外部からサービスとして(有償で)「購入する」することが可能になっている。こうした家事支援サービスの普及は、それまでもっぱら家事に縛り付けられていた女性の社会参加・労働参加を可能にし、共働きという働き方の普及に寄与してきたことは言うまでもない。
 ちなみに、永井(2016)による家計調査のデータを用いた分析によれば、世帯人員2人以上の勤労者世帯において、消費支出に占める家事関係出の割合は1985年の6.7%から2014年には9.1%に増加しており、特に炊事、掃除、育児といった分野で家事の外部化が進んでいるとのことである。

永井 恵子(2016)「我が国の家事外部化の動向を探る」
(公財)家計経済研究所「家事経済研究」第109号(2016.1)

対人サービスにおける「生産と消費の同時性・同場所性」

 しかし、家事支援サービスは基本的に有償である。もちろん育児や介護のようにその対価の一部または全部を政府部門が支出するケースもあるが、基本的には個々の家庭が家事支援サービスをどの程度利用できるかは、その家庭の所得に依存するといってよいだろう。
 高所得の家庭であれば家事支援サービスの購入にさしたる支障はないかもしれないが、とはいえあまり高価格であればサービス購入はためらわれるだろうし、より多くの人たちが気兼ねなく家事支援サービスを利用できるためには、基本的にはその価格は安価であることが望ましい。
 しかし、サービス、特に人が人に直接サービスを提供する対人サービスの領域では、そのコストを下げることは必ずしも容易ではない。なぜなら対人サービス業では、サービスの生産と消費が同時に・同場所で行われるという特徴があるからだ。対人サービスは顧客によるサービスの「消費」が生まれるその時間・その場所で事業者はサービスを「生産」する必要がある。工業製品であればアジアなど労働コストの低い国で安価に生産を行い、需要に応じて輸入する(つまり生産と消費は必ずしも同時・同場所である必要がない)といったことが可能であるが、対人サービスではそうはいかない(筒井2015)。
 そうした、工業製品とは異なる特性を有するサービス、特に対人サービスにおいて、もっとも簡単なコストダウン策は低廉な労働力を使うことだ。欧米先進国や、アジアでもメイドを雇うことが一般的な香港やシンガポールなどでは、外国人労働者や移民がエッセンシャルワークの主たる担い手となっている。

容易ではない労働力不足の解消

 さて、ここでようやく冒頭の「2040年労働力不足1100万人」問題に話は戻るのであるが、人口減少下で労働力不足を補うための方法としてよく言われるのが
 ・女性
 ・高齢者
 ・外国人労働者
 ・機械化・自動化
の4つである。このうち女性と高齢者についてはその就業率は近年上昇傾向にあり、15-64歳女性の就業率は2005年の58.1%から2021年には71.3%にまで上昇してきており、いわゆる「M字カーブ」もかなりマイルドなかたちになってきている。高齢者も同様で、高齢者全体の就業率は25.1%(2021年)、65-69歳男性の就業率は60.4%に上昇している(2021年)。つまり、遅れていると言われてきた女性と高齢者の労働参加は近年かなり進んでおり、今後これをさらに引き上げていくのは容易ではないということだ。
 一方、外国人労働者については、たしかに2022年時点でその数は182万人と過去最高を記録し、10年前に比べて2.7倍に増えている。しかし、彼らの出身国(ベトナム、中国、フィリピン、ブラジル、ミャンマーが2022年のトップ5)自体の経済成長に伴って自国内の労働需要が高まり賃金上昇が進むこと、隣国の中国や韓国も日本と同様に労働力不足となるため今後外国人労働者の争奪戦が始まること、加えて日本の経済的地位の相対的低下(≒円安)などを踏まえると、今後外国人労働者を安定的に確保することもまた必ずしも容易ではないと考えられる。
 となると期待がかかるのが「機械化・自動化」だ。既に対人サービスの現場でもさまざまな形で機械化・自動化が進んでいる。例えば、飲食店内で動き回る配膳ロボットやタブレットでの注文、自動化された支払いレジといったものは既に見慣れた光景となりつつある。しかし、製造業とは違ってサービス、中でも対人サービスはなんといっても相手が人間だけに、機械化・自動化の難易度は高い。また、サービス業の担い手の多くは中小規模の企業であり、機械化・自動化投資を負担できる体力に乏しいという問題もある。
 ということで、生産年齢人口の減少という構造的な要因に起因する長期的な労働力不足の進行という問題に対して、画期的な打開策というのはなかなか見出せないというのが現状のようだ。

パワーカップルとウィークカップル

 人手不足は必然的に人件費の上昇をもたらし、それはサービス価格に転嫁される。もちろん昨今よく言われる「賃金と物価の好循環」ということで、それでみんながハッピーになれるのならそれに越したことはないのだが、はたしてそううまくいくのだろうか。
 我が国においては、近年2人以上世帯において世帯間の所得格差が拡大している。夫婦共働き世帯の増加に伴い、夫婦ともに高収入の共働き世帯(いわゆるパワーカップル)が増えているが、橘木・迫田(2013)は、所得の高い妻とそうでない妻との所得格差が、夫婦の合算所得である家計所得の格差の拡大を助長し、その結果夫婦の合計所得が高い世帯(パワーカップル)と低い世帯(ウィークカップル)への二極化が進んでいると指摘している。

 なお、前掲の永井(2016)によれば、家事の外部化は特に共働き世帯や年間収入の高い世帯でより進んでいるそうである。専業主婦世帯よりも共働き世帯のほうが家事の外部化に対するニーズが強く、また収入が多いほど利用が多いということである。まあそうだろう。
 となると、今後労働力不足によって家事支援サービスの価格が上昇していくと仮定した場合、所得が高いパワーカップルであれば価格上昇を許容できるかもしれないが、そうではない一般的な共働き世帯は家事サービスの購入を手控えざるをえないという局面も今後十分に考えられるのではないだろうか。

家事の内部化の可能性

 家事を外部化できないとすれば自分たちで、つまり「内部化」して対応することになる。炊事は外食や取り寄せを控えて、自分たちで買い物に行って自炊する。その買い物もネット通販ではなく自分たちでお店に買い物に行くしかない。ただし、小売店の営業時間は短縮され、定休日が増えているだろうから、買い物自体が手間のかかる不便なものになることだろう。
 炊事や買い物なら多少の不便も我慢できるかもしれないが、では子どもの保育所や学童保育が人手不足で維持できなくなった、あるいは料金が高騰としたとしたらどうなるだろうか。夫婦のどちらかあるいは双方が、その労働時間を削って子どもの面倒をみることになるのかもしれない。
 コロナが始まった2020年の緊急事態宣言発出時の状況を思い出してほしい。小中学校は休校となり、保育所も休園や登園自粛を余儀なくされた。スーパーや百貨店、飲食店なども営業時間が短縮された。さすがにあの時ほどの深刻な状況にいきなり至るとは思われないが、とはいえ人手不足がさらに進めば今後じわりじわりと生活への影響が出てくることは十分に考えられる。

妄想であればよいけど…

 「家事の外部化」は女性の就業率の向上を支えてきたが、その家事サービスを担う人手が不足するとなれば、家事の一部は再び「内部化」せざるをえなくなる。もちろん、家事は夫婦で平等に分担するものであるから、内部化された家事は女性だけでなく男性も分担しなければならないことはいうまでもないが、いずれにしても内部化された家事に時間をとられる分だけ労働時間が削られる。つまり「家事の内部化」は対人サービスの担い手の労働参加を減少させることにもなりかねない。人手不足がさらなる人手不足を招来するという悪循環が起きる可能性だってなくはないのだ。
 もちろん、ここまでの話はやや極端に振った筆者の妄想であり、もしそのような事態が今後本格化するとしても、育児などの必要性の高い家事支援サービスについては当面は政府セクターが教育費無償化政策の延長線で補助金を入れるか手当を配るかして負担をを抑えるのだろう。しかし、政府補助には財源の制約がある。
 でも、逆に人手不足でエッセンシャル・ワーカーの方々の賃金が上がるとすれば家事サービスを購入する余力は高まるし、もしかしたら外国人労働者も日本に来てくれるようになるかもしれない。なんだ心配することないのか?。よーわからんけど。
 ただ、人手が絶対的に減っていくなかで、今までと同じような生活様式がそのまま維持できるとは思えないんだよなあ。

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