見出し画像

「脱クルマ」から始まるウォーカブルなまちづくり

はじめに

 遅ればせながら、ヴァンソン藤井由実さんの『フランスのウォーカブルシティ』(以下「本書」という)を読んだ。

 副題に『歩きたくなる都市のデザイン』とあるので、フランスのおしゃれな歩行空間−カフェやベンチやイベントやらアートやら−がいろいろと紹介されているのかと思われるかもしれないが、内容はかなり骨太である。

「本書のテーマはウォーカブルな都市空間の再編であり、要は道路空間の再配分である。」

本書p.226

と著者自身が述べているように、本書のメインテーマは「道路空間の再配分」である。

道路空間再配分の4点セット

 「道路空間の再配分」とは、自動車用の道路車線を削減し、その分を歩道の拡充や自転車、バスやトラムなどの公共交通、さらには電動キックボードのようなマイクロモビリティなど、自動車以外の交通手段のための空間へと転用することを言う。
 日本でもウォーカブルなまちづくりということで、車道を削って歩道を拡幅したり、車道を廃止して全面を歩行者空間にする例が出始めている。しかし、著者によれば、「フランスではウォーカブルな空間の創出には、まず自動車通行の抑制が必要」と考えられている。たしかに、考えてみればそのとおりだ。車道を削って歩行者空間を拡充するだけで、クルマの総量が変わらなければ、そのしわ寄せは他の道路の渋滞を激しくすることになってしまうからだ。

 著者の主張を私なりに解釈すると、フランスにおけるウォーカブルなまちづくりは以下の4つの施策が複合的に、というか同時並行で進められていると整理できよう。

① 歩行者専用空間の整備
② 自動車交通の抑制
③ 公共交通の充実
④ 自転車専用道路の整備

 単に①の「歩行者専用空間の整備」を進めるだけでは、クルマを他の場所に押しやるだけなので、②の「自動車交通の抑制」、すなわち都市部へのクルマの流入を抑制する必要がある。クルマの流入を抑制するからにはクルマに代わる他の移動手段を充実させる必要があるが、それが③の「公共交通の充実」であり、④の「自転車専用道路の整備」である。つまり、都市計画と交通計画は統合的に進められる必要があるということだ。本書ではそのあたりについてのフランスの状況が以下のように述べられている。

(フランスの公共交通整備プロジェクトでは)公共交通の専用道路の整備と、その影響を受ける都市空間全体の整備までを補助対象事業としており、公共交通導入と都市空間再編の同時着手が当然とされている。つまり、フランスにはあるひとつのエリアを「ウォーカブル」にするためだけの補助制度はないが、公共交通整備を伴う歩行者優先空間の整備には補助金が付与されるしくみとなっている。

本書p.116(太字筆者)

フランス政府は1980年代から、環境保全、福祉、雇用創出の観点から、公共交通整備を支援し、車利用を抑制して歩行者を中心とした都市再編を促すための法整備を行ってきた。なかでも2000年に制定された通称SRU法では、「都市の開発」と「移動に関する計画」に一貫性をもたせることが「持続可能な発展に不可欠」と明記し、土地利用と交通整備を組み合わせたことが重要である。

本書p.118(太字筆者)

 では、我が国の現状は?というと、①の「歩行者専用空間の整備」こそ近年のトレンドとなっているが、③の「公共交通の充実」は東京や大阪などの大都市はともかく地方都市では人口減少に伴って充実どころかむしろ衰退に向かっているし、④の「自転車専用道路の整備」についてもコロナ禍において整備を積極化している欧米諸年に比べれば勢いに欠けているといわざるをえない。なによりこれら4つの施策間で連携が取れているとは到底いいがたい状況だ。特に②の「自動車交通の抑制」についてはほぼ手つかずと言ってもよいのではないか。

クルマをいじめる

 本書によれば、フランスでは自動車交通を抑制するために、「ゾーン30、ゾーン20(最高速度が時速30km・20km以下に制限されたエリア)」の導入や公共の駐車スペースの削減といった手法で、都市部におけるクルマの使い勝手を悪くする(いわばクルマをいじめる)ことで、間接的に自動車交通を抑制するという施策に取り組んでいるようだ。ちなみにバリ市は市内のほぼ全域をゾーン30に指定することを決定している。

 さらに、もっと直接的に自動車交通を抑制しようというのが、ロンドンやオスロ、シンガポールなどで導入されている「コンゼスチョン・チャージ(Congestion charge);混雑税・渋滞税」だ。これは特定のエリア・特定の時間にクルマを乗り入れる際に課金されるシステムのことだが、最近ではニューヨーク市がマンハッタンに乗り入れるクルマに混雑税を課金すると発表した。

 ニューヨークといえば、タイムズスクエアの歩行空間化を皮切りにブロードウェイ全域にそれを拡大しつつあるなど、ウォーカブルなまちづくりに積極的に取り組んでいる、いわずとしれたウォーカブル先進都市であるが、やはりウォーカブルなまちづくりのためには自動車交通の抑制が必要だということだ。

自動車の社会的費用と都市のあり方

自動車は社会に種々の弊害をもたらす。例えば
・公害(大気汚染・騒音・振動など)
・交通事故
・道路建設等による自然破壊
・化石燃料使用による地球温暖化 など。
宇沢弘文先生はこれらの「自動車の社会的費用」を、自動車の所有者・利用者など自動車の便益を享受する人々がわずかしか負担していないとしたうえで、これらの社会的費用を、自動車によって便益を享受する人々が負担するようにする(=内部化する)必要があると今から半世紀も前にすでに主張しておられた。

 先に挙げたようなクルマの最高時速制限やコンジェスチョン・チャージなどの施策を導入することで「クルマをいじめる(=クルマの便益を小さくする)」ことは、自動車の社会的費用の内部化の一種であると言ってよいだろう。
 宇沢先生はさらに、自動車と都市のあり方についても次のように論じている。

各都市の設計はもちろん、全国的な交通体系の策定にさいしては、自動車の社会的費用が内部化されているように、自動車道路の設計、その建設費用の負担、都市におけるさまざまなインフラストラクチャーの建設、さらに自動車の購入、保有に対する課税制度を構築すべきである。このときはじめて、社会的共通資本をも含めた、希少資源の効率的ないし最適な分配が実現し、安定的な社会的、経済的状態を維持することが可能になる。

宇沢弘文(2000)『社会的共通資本』p.115

 続けて宇沢先生は、日本を含む世界の大都市で採用されてきたル・コルビジェ的な都市理念に対するアンチテーゼとしてジェイコブズを紹介した上で、以下のように述べている。

ジェイコブズの都市理念にもとづくとき、新しい都市の形態、とくに公共的交通機関の果たす役割にかんして、これまでの考え方に対して180度の思想的転換を迫られることになる。人間的な魅力を備えた都市はなによりもまずなによりも歩くということを前提としてつくられなければならない。(中略)日本の大都市の多くはすでに「くるま社会」の限界に達しつつあって、いま、ジェイコブズ的な転換をおこなわなければ、都市における社会的不安定性、文化的俗悪は、不可逆的な被害を私たちに与えることになることは間違いないであろう。

宇沢弘文(2000)『社会的共通資本』pp.121-122

 下記の記事にもあるように、世界を見渡せば、宇沢先生が言うような「クルマ本位」から「人間本位」へと都市のあり方をシフトさせていこうという動きが既にいくつかの都市で進められつつある。
 ウォーカブルなまちづくりとは単に歩道にベンチを並べたりオープンカフェを設置したりすることではない。「脱クルマ」や「公共交通の充実」などの諸施策を統合した「誰もが安心して自由に移動できる都市」への取り組みを進めることの結果として、まちはウォーカブルになる、ということなのだろうと思う。


*以下の過去記事も併せてお読みいただけると嬉しいです。


□□□□□□
最後までお読みいただきありがとうございます。もしよろしければnoteの「スキ」(ハートのボタン)を押してもらえると、今後の励みになります!。noteのアカウントがなくても押せますので、よろしくお願いいたします!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?