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■2022年ぼくが一番感銘した本

現代散文自由詩人の独り言(86)

スヴェトラーナ・アレクシエーヴィッチ「戦争は女の顔をしていない」(岩波現代文庫、2016年2月刊)

ぼくは、昨年(2021年)12月25日に借りた吉増剛造の詩集「螺旋歌」から今月26日に借りた、同じ吉増の「花火の家の入口で」までに、地元区立図書館で172冊の本を借りた。
その中で、詩集や詩論などの本は2割もないだろう。ノンフィクション、雑誌、ビジネスもの、小説などなど借りた本ですべて読み切ったのは6-7割というところか。
他の図書館、少ないが自分で買った本を含めれば確実に年間100冊以上の本を読んだと思う。
10数年前まで、職業的(書評や、著者インタビュー)な目的で、本をそこそこの数を読んでいた時期でもそこまで読んでいたろうか。もともとそんなに本を読む方ではなかったし。

今、詩に関心を持ち、詩作を行い、noteに投稿するようになってからの約2年。
本を読むのは、詩をはじめとしたnoteに書くネタにつながるものを探すこと―が大きな理由になっている。
小説も読むが、詩作のヒントにつなげたい、といつも考えている。ただ、好きではない歴史もの、ミステリーやサスペンスなどエンタメ系よりは純文学が多い。
その中で、今年出た本ではないが、本書は今年2022年読んで最も心を打たれた。

今現在、ウクライナ-ロシアで続くものをはじめ、「戦争」というものがどれほど忌まわしいものか。そして、それに巻き込まれないまま人生を終えることが―極めて幸せなことであると感じる。
だのに、この本は80年前に戦争という渦に自ら飛び込む人たち、しかも女性が旧ソ連にいた事実を活写する。

内容
ソ連では第二次世界大戦で百万人をこえる女性が従軍し、看護婦や軍医としてのみならず兵士として武器を手にして戦った。五百人以上の従軍女性から聞き取りをおこない戦争の真実を明らかにした、ノーベル文学賞作家の主著。

図書館データ

日本では2008年に邦訳が出て、著作権の関係で途絶したものを岩波がその後再刊した。漫画化もされ、KADOKAWAから全3巻が今年3月に完結している。

かなりの労作で、文章は難しい言葉で語られているのではなく、翻訳も自然で読みにくい点はほとんどない。
しかし、内容がやはり読んでいて辛い、しんどくなるのである。

作家、林真理子の動画を見たが、彼女も同様のことを語り、原作本は読み切れず、漫画版を読んだのだそうだ。

この本に記録されている「声」は、相手の命を取り合う戦争の最前線で見聞きし、感じたものばかりだ。

『戦争はなんでも真っ黒よ。血だけが別の色…血だけが赤いの…』
『幸せって何かと訊かれるんですか? 私はこう答えるの。殺された人ばっかりが横たわっている中に生きている人が見つかること――』
『詰襟の軍服も袖のとれたのや、胸が穴だらけのや、片足だけになったズボン。涙で洗い落として、涙ですすぐ』
『夜も昼も窯のそば。粉をこね終わるともう次の分が必要になってくる。爆撃の中で私たちはパンを焼いている』
『犬について小屋の中に入ると戸口に奥さんと3人の子供が倒れていた。犬はそのそばに座って泣いている。本当に泣いているの。人間が泣いているみたいに』

本書より

こういう声がたくさん載っている。

声を残したのは、生きて帰って来た人たち。そして、「彼女ら」がどういう「戦後」を生きたのかについても、筆者はしっかりと記録している。

これらの記録を読み、詩心を書きたてる「本」とも思った。
しかし、ぼくの中の「詩心」など、生と死に向き合った彼女たちの体験談の前では…何の意味もないとも感じた。


ベラルーシ人のアレクシエーヴィッチはプーチンの傀儡政権下では暮らせずドイツ在住


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