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■読者への「感謝」を忘れるな

「note」を読んで(20) 不定期刊

昨年2月から始めたnote活動。あと3週間もすれば丸1年。1周年記念だ。
当初からPVとスキの「数」はずっと気にしている、気にしてきた。
投稿本数が月に100本を超えたときもあったが、このところ月に50本ちょいである。
それもあってか、明らかにPVは減っており、読まれなくなっている。だから今月は、本数を増やして、PV稼ぎをしかけている…。

だが、しかし。
あまり意味がない、とも思う。
そもそも、PVなぞ気にせず、頭に浮かび、吐き出したい気持ちを、正直に文として、詩として書いてきた。
それなのに、「PVが少ないと寂しい。減っているのはもっと寂しい」と感じてしまう。
まるで、中二、14歳のような思考である。
俗っぽい人間。俗人なのだから、そんな考えも当然といえば当然。そんな自分を素直に受け入れ、ひたすら書き続けよう、とは思う。

だが、しかし。
やはり数字が気になる…。

気づいたことがある。
このnoteに限らず、「素人」のブログ、その他書き込みによくあるフレーズ。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました…云々」
バカじゃなかろうか。そんな取ってつけたようなこと、書く必要あるの?
こっちは興味ある内容と思って、読んでいる。時間は何分かはかかるが、カネも使っていない。ありがとうございます―などと言われると、体がこそばゆくなるよ。
そこまで、自分が書いたものを「読んでもらった」ことにへりくだる必要があるの?!
…とずっと思ってきた。と中二の僕は感じてきた。

いやしくも、マスコミの世界で禄を食み、「読者を意識して」文章を書いてきた。すなわち独りよがりの文章を書かないこと、それを意識してきた。新聞や雑誌が、「最後まで読んでいただきありがとうございました」とは、少なくとも記事ごとには書かない。対価を払う読者に感謝を示すことはあっても、記事が読まれたことに感謝することは決してない。非商業ベースの文章表現で、感謝の意思表示をする必要があるのか―と思うし、違和感がある。だから、note内でそんな書き込みを見ると、せっかく内容もよく文章も素晴らしいのに、謙遜する必要ないなあ…と思うことがしばしばあった。

だが、しかし。
カネを払うわけでなく、もらうわけでもない、noteはじめブログ、SNS上の「書き手と読み手」の関係においても、そのこと、読者を意識することはある程度以上必要なんじゃなかろうか、と思った。

以前、僕の記事にスキを付けてくれた人で、重吉陽一郎さんという書き手が、挨拶の中で、「変な詩を書こうと思って書いているので(それが僕の書きたいものなので)、気楽に楽しんでいただけたら嬉しいです☆」と書いていることに、ハッとさせられた。

つまらない、デキの悪い詩にも、スキを付けてくれた方々はもちろん、それ以外の方々にそうした気持ちで接していたろうか。
その姿勢が僕に欠けているから、現状がある、と思うのだ。
カネを払う、もらうの関係ではない。商業ベースにはないとはいえ、わざわざ読んでくれている人がいる…。そのことへの想像力は大事だろう。大事なことを忘れていた、と思う。

改めて申し上げます。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。今後も気楽に読んでください

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