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■今月も投稿したけれど

現代散文自由詩人の独り言(43)

◇「現代詩のこと」はよくわからない…です

昨年3月から続けている「現代詩手帖」誌への投稿。
10月に送り忘れたのを除き、毎月何編かを20日着の締め切りに合わせて送っている。
きのう18日も少々慌てて、2編送った。

13日投稿の「At the BEACH」を、「浜辺にて」と改題し、同じ文字を何文字も書く(コピペだが)という視覚効果(笑)を狙うようなスタイルにし、全体をいじって投稿作に仕立て直した。

1/19浜辺にて

何十年も前(100年以上前か?)からある手法だが、なんかこういうのってこっぱずかしいじゃないの?!
画像ではわかりにくいが、先日カルチャーセンターの実作講座で講師の大先生に指摘されたので、「ぼく」という人称を「男」に変えてみた。まあ、これまた大同小異かね?
もう1本は、4日投稿の「公園にて」をこれまた、「骨を見つけた」と改題し、これもちょっと手を入れたが…。ここでは改めて披露しないでおく。

いつもは5-6編送ってきたが、今回はこの1カ月でコレというものもなかったので、2本だけにした。

書き続け、投稿し続けたところで、相手(「現代詩手帖」)の編集者、選者にどれだけ認識されているのかさっぱりわからない。手帖誌以外の詩誌への投稿も考えながら、やっていないままだ。

それ以外で、10月の東京メトロに送ったもの(入選した=既報w)以外では、自治体や企業主催の文学賞も送っておらず、探してもおらず…。
ああ、そういえば、公募ガイドもなくなる…いや、リニューアルして季刊にし、これまたオンライン中心になるらしいが、「公募の世界」もこちらのnoteみたいのが膨大にあるわけで、変化せざるを得ないのだろう。

公募に応募-入賞/入選-公開-共感、そして売れる-という領域に至らないと、この世に爪痕を残せたとは言えないだろう。売れることは難しいが、一定の共感を得ないと、爪痕が残ったとは言えない。
たったの1編だけ、入選というわけでは、まだまだ道は遠い。


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