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■生きている間に…

「文学」と「作家」への道(4)


「詩人の独り言」改

◇120年以上読まれる樋口一葉

週に2-3冊の単行本(書籍)を読んでいるが、いずれも図書館で借り、そうしたものが手もとに常に10冊前後ある。飛ばし読み、読み切れないものを含めれば4-5冊の本に目を通している。

学者が書いた硬めの本はなかなか手が出ない。翻訳物も苦手。それでも、新聞書評(日経、朝日、読売、毎日、産経、東京)で読んで「興味」を抱いた本はぽんぽん予約し、忘れたころに「用意ができました」のメールが届くので、地元の区立図書館、周辺や都心の図書館まで取りにいって借りている。返却期限ギリギリになってようやく読み出し、読み切れないまま返却することも多い。

そんなことになりそうだった1冊だが、予想以上に読みやすく、内容も心にずしんと落ちたのが、

伊藤氏貴著「樋口一葉赤貧日記」(中央公論新社、2022年11月刊)

である。

みなさまご存じの一葉。しかし、ぼくはたぶん彼女の小説は読んでいなかった。生活苦、貧困の中で夭折した作家――ということしか、ほぼ知らなかったと思う。「にごりえ」「たけくらべ」といった代表作が文語調で書かれていることも手を伸ばして読もうという気にならなかった理由だが、この本は、一葉がどういう生き方をし、カネに、生活にどれだけ苦労したかを教えてくれる。
その暮らし向きを没後120数年たっても再現できたのは、一葉が日記を残し、遺された妹が日記以外に書き残したものも多くを保存していたからだ。

一葉がかつて住んでいたの現在の文京区~台東区のエリア。ぼくの自宅からも決して遠くはないし、本郷周辺はランニングにもよく行く。記念館のある台東区竜泉も知っている。記念館に入ったことはなかったので、この縁でぜひ訪れてみたい、と思った。

生前、作家として経済的成功を収めることなくわずか24年と半年で亡くなった一葉だが、彼女に作家としてのチャンスが幾度かあったこともこの本は教える。
しかし、士族(父親は百姓だが幕末のどさくさに士分をカネで手に入れた)というプライドがあるため、さまざまな生きづらさがあったよう。

「一葉は萩の舎(通っていた短歌の結社)に通う度に、そこに居並ぶ黒塗りの人力車を横目で見ながら一人、仕立物や洗濯物の入った大きな風呂敷包みを背負って門を潜った。生きるために忍ばねばならない屈辱だった」
「一方、本郷菊坂は、プライドと貧困のはざまにある一葉を象徴するような場所だった」
「幸か不幸か、一葉は貧乏という宝を抱えたまま逝った」
などと、筆者は一葉について書き、世間受けする小説を書けと師匠や版元に迫られても、彼女は「はかなき戯作のよしなしごとより、我が筆とるはまことなり」と自身が追求すべき小説を書こうとしたという。
そして、「今後も作品を通じて、『千載の名』を残すだろうことは疑いない」と筆者は樋口一葉の存在について結論づける。

本書より

去年は、生誕150年ながら、山梨県立文学館(一葉の両親が山梨出身)の企画展があったくらいで、そんなこともぼくは知らなかったし、一葉が話題になった記憶はない。残念である。

ぼくもカネに縁のない人生を送ってきたが、生活のために借金をすることはなくこれまで生きてきた。
それに比べれば、彼女が抱えていた「重いもの」―。それがあるうえで、小説を書き続けていたのである。命の限り…。
いろいろと、考えさせられる本、一葉の生涯である。


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