褒め言葉を受け取ろう
集団の中で、遠慮しすぎる人が苦手です。
一方で、褒め言葉を上手に受け取れない自分がいます。
ふと、両者って同じじゃん!と気づきました。
苦手なものが自分の中に存在する矛盾です。
アドラーは、褒めても叱ってもいけない、と言いました。
しかし、日常で他人の言葉はコントロールできませんので、突如として褒め言葉をいただくことがありますよね。今回は、その受け取り方の話です。
〇そのまま受け取ってくれるかな?
感謝の言葉もそうです。
「おかげさまで、助かりました」
こう言われるとうれしいものです。それなのに、
「そんなそんな!誰でもできることです」
「私は〇〇しただけです」
こんなふうに返してしまいます。
賞賛も感謝も、せっかくの相手の言葉を、否定してお返ししています。
このクセに気づいていませんでしたが、ある時、はっきり先輩に言われました。
「なんでこっちの言葉を否定するの?そのまま受け取ってよ」
あ、そういや前にも言われたことあることだ、、、と思い出しました。
〇褒め言葉を受け取らない人
褒め言葉を受け取らないのは、いつものことでした。
理由は様々
・若干、自己否定の気持ち
→自分は改まって褒められるような存在ではない
・喜んではいけないと思う
→喜ぶことが許されないと思っているのかもしれない
・遠慮の気持ち
→私なんかにそんなお言葉もったいない
こんな思考が反射的に働き、否定してしまいます。
「いや〜そんなことありません!!」と。
相手の不快感は、「私は認めているのに、あなたは自分を認めていないの?」から、結果的に「私を否定しているの?」というメッセージになるからだと推測できます。
〇遠慮しすぎる人
以前、“遠慮しすぎる人“が不快に感じることがありました。
彼らは基本、優しい人たちです。
いただいた菓子折りをみんなで開けて「どれでも好きなの取ってください!」とすると「自分はみんなが取った後でいいです」と本当に最後の余り物から選んだ人。
また、自由に好きな料理を取って食べればいいのに、「自分は残り物でいいです」と我慢し、会食の終わりに冷たくなったオードブルを食べ始めた同僚。
どちらも見ていて「うわっ…」と引き「遠慮しすぎる人って嫌だなー」と思いました。
なぜ嫌だったかを掘り下げると、
遠慮も、ほど良くならOK。程度の問題です。
遠慮しすぎは、そんなことを許される存在じゃないと、自分を低く置いているように見えたからかもしれません。
〇遠慮しすぎ ≒ 褒め言葉を受け取らない
ここまで書いて気付きましたが、遠慮しすぎも、褒め言葉を受け取らないも、同じことですね。
どちらも「他人の私は認めているのに、あなたは自分を認めていないの?」と全く同じ不快感と違和感を与えています。
遠慮しすぎの人の特徴は、
自分はいつも後回し、
他人優先、
要求を言わない
などがあります。
あ、時々、そんなことしてたな、、、
遠慮しすぎな人が苦手な理由は、同族嫌悪だったのでしょうか。
まだまだ人生修行ですね。
褒め言葉、受け取り方練習中!
本当にありがとうございます😊嬉しくて小躍り!!💖