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絶対に失敗しない”一本釣り”

消えて行く文化。それはレンタルDVDのことだ。

久々に借りたDVDを再生して見た。

その映画は韓国のサイコサスペンス/サイコミステリー、だった。
まさか、そんなジャンルとは知らずに借りたので、心の準備ができていなかった(´-`)

残忍で衝撃的なシーンが多く、何度も目を手で覆ってしまい、まともに見ていられなかった。

それなのに、今回借りて良かった!と、とても強く思った。それには理由がある。

そうよ、DVDってこれよね…!と思い出したのだ。

まず、字幕。
日本語(通常版)、日本語(吹き替えシナリオ版)、英語、韓国語、字幕なし、から選べる。とても豊富だ。

そして、音声。
日本語、英語、韓国語から選べる。

今ではネット上で、字幕版か吹替版かをクリックするだけだ。

DVD再生では、メニュー画面でリモコンをポチポチ押しながら、選ぶ。
この感覚、外国語を勉強している身にはありがたかったな…なつかしい…と感動してしまった。

思い出せば、時々わざと、洋画を「日本語字幕」で音声を「日本語吹替版」で見て楽しんだこともある。

声優さんの仕事がいかにすごいかを知るために、ちょっとした遊びだ。
今の時代には、しない遊びだろう(笑)

今回借りたDVDは、映画本編以外にも、映像が盛りだくさんだった。
いわゆる「特典映像」というもの。

監督のインタビュー、キャストのインタビュー、スタッフのインタビュー、メイキング映像、絵コンテ、新たにDVD用に撮影した映像…。

本編2時間の映画に対し、特典映像だけでたっぷり1時間30分!

サイコサスペンスの怖さだけが残る映画だった。しかし特典映像で、作り手のこだわりや、和気藹々とした撮影風景に癒されて、作品の印象が変わった。

これぞ、DVDの良さだったな~♡と思い出した。


DVDが出たあの頃の衝撃は大きかったな。

ビデオテープの様式が、DVDになり、その見た目。
圧倒的に薄くて驚いた。

レンタルショップで1つの作品が占領する場所が、激変したのだ。まるで、百科事典から、文庫本になったようなコンパクトさ。

DVDはキラキラしていた。ビデオは古く見え、時代の流れを大きく感じていた。レンタルショップに行くと、何でもいいからDVDを借りたい!と思わせる何かがあって、ワクワクしていた。

そんなDVDも今や下火。

最近の作品も同時にレンタルしてみたが、特典映像は全くなく、これにはホントがっかりした。
逆に「新作情報」と言って、別の映画の宣伝が7~8本入っていた。
しかも、それらは本編の前に、強制的に再生され、スキップができない。これではますますDVD離れが進むと思うが、この20年で随分DVDのディスクも進化したんだと感心した。

DVDがすでに、過去のものになっている。

これからの時代は、オンラインで映画を見るだけになるのだろうか。

オンラインでは、目的の映画を”一本釣りするしか出会いの方法がない。

作品名、監督、出演者、新作…目的のものを、検索する。

私はすでにこの一本釣りのシステムを面白いと思えないのだ。

レンタルショップでは、一本釣りではなかった。

借りる予定のなかった作品に魅かれて借りたり、店員さんのPOPに書かれた熱いメッセージに心打たれて借りたり、隣同士並んだ作品をふらっと借りたり、いろんな予期せぬ出会いがあった。

余計なこと。余白の部分。ムダなこと。
そこに人生の面白さがある。こういう余白で、人生観を変えるような、出会いがあった。

オンライン映画の一本釣りではそれがない。

なんなら、映画を見る前に、事前にレビューも読めるから、その一本釣りも、”絶対に失敗しない一本釣り”が可能になってきた。そんな形でいいのだろうか。もったいない。余白がいいのに。

合理的だし、生産性も良く、今の時代に合っているのかもしれないが、それじゃあつまらない、と私は思う。

レンタル時代には、借りた作品が面白くなかった、そんなことは普通だった。
それがあるから、本当に面白い作品に出会えた喜びは大きかった。
予定外で借りた作品が、意外に面白かった時の喜びもひとしお。

また、世間の評価を知ることはなかったので、他の人の意見(レビュー)は関係なく、自分好みの作品を見つけた時は、自分だけの宝物になった。

絶対に失敗しない一本釣りは、遊びがなく寂しいものだ。
これが当たり前になると、失敗に弱くならないだろうか。
ムダと余白の遊びで、私は成長できたと思っている。


本当にありがとうございます😊嬉しくて小躍り!!💖