N35°35’13.05” E139°33’12.18” 街っていうのは自分のもんじゃなくてその環境をまた申し送っていくのが必要だと思うんだよね。
この街に来たのはね、1970年。でも1975年までの5年間というのは勤め人だったもんで、ほとんど会社とうちの往復だけ。で、この街にもどってきたのは1994年。だけど2005年まで会社勤めで、そのときも家には寝に帰ってくるだけでした。で、2005年に退職してね。それから4、5年は近所を散歩してました。横浜市と川崎市の市境の尾根道があるんですよ。あそこがすごく良くてね。散歩コースはうちのうしろを突っ切って菅生緑地にでる、菅生緑地からずーっと山道にはいってくねくね尾根道を歩いていってたんだけど、いまはもうそのあたり新しいマンションができちゃって。そこに古びたいい家があったんだけどね。
散歩道のなかでね、僕がいちばん好きなのは、あの鉄塔のある公園。
あそこのまわりがいちばん好きだったんだよね。当時はきったないとこでね。草が思い切り伸びてたんだけど、まわりの人が一生懸命刈るようになってね、いまはもうきれいになってる。そのまわりがね、いちばん好きだね。尾根道通って公園通って大きな邸宅の裏にでて、そこにもまたくねくねした遊歩道があってね、でたとこの左側にまた大きな家。そこのうちがなかなか手入れしないんだよ。すごい草がワーッてなってんだけどさ、でもそれがけっこう味があってね。あの道は大好きでしたね。その道の両側に大きい家があって、で、いまはもうやめちゃったけど鯉を飼ってんですね。すごい池があって水が循環しててね、その水の音を聞きながらその道を突っ切ると小学校の角にでかい桜が二本あってさ、それが切られちゃったんだよね。そうそう、切られちゃったんだよ。みんなが切らないでくれってたのんだんだけどね、そうもいかないでしょうっていわれて…けっきょくね。その鯉がいた家もけっこう広くてね、森っていうか、あれはなんだろ、ふきのとう畑でね、ふきのとうだけで百坪くらい。
毎朝だいたい1時間くらい散歩してたかな、1日1回朝早く。
街っていうのは自分のもんじゃなくてその環境をまた申し送っていくのが必要だと思うんだよね。そして美しい街に住むのは美しい人じゃなきゃいけない。美しいっていうのは外見のことじゃなくて内面も美しくなきゃいけない。住み替わりっていうのはたしかにそのとおりであって、この4、5年で代替わりして新しい人がきて、その子供のいる家族に住み替わる。そういう意味で循環してるっていうか、住む人が変わって、また良い街になっていくんじゃないかと思いますね。
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