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発達障害当事者の私が感じた『リエゾン-こどものこころ診療所-』第3回で「わかってほしい」こと

 3月19日発売の『モーニング』第16号に、『リエゾン-こどものこころ診療所-』第3回が掲載されていたので、さっそく購読させていただいた。今回も〈画のお芝居〉の機能がフルに生かされた素晴らしい演出があり、そこが発達障害の当事者として「(あくまでも私個人が)わかってほしいこと」と密接にリンクしていたと感じたので、そのポイントを拾い上げながらまたしても感想をつらつらと述べていきたいと思う。

第3回「金の卵①」あらすじ​

 主人公、遠野志保は引き続き佐山の経営するクリニックで研修を行うことになった。クリニックは平日の昼間から「大盛況」で(これは、大人の心療内科でも同様。実にリアルな描写だと思う)、佐山も診察室で昼食を済ませねばならないほど大忙し、それでも児童精神科の受診希望者の受け皿となる医師は足りていないという。

 外来診察終了後、クリニックの近所にある小学校のスクールカウンセラーらが訪れる。クリニックで診察中のこどもたちの学校での様子を定期的に共有するためだ。同時に、彼らもまた発達障害のこどもと向き合うために医師の助言を必要としているのだった。

 今回の〈相談〉で大きな議題になった児童は、休み時間になっても教室に戻らず、池の鯉の数を数えることが続いているという女児で、スクールカウンセラーと共に相談に訪れた担任教師は「どうやってやめさせるのか」を佐山に相談するのだが、佐山は「どうやったら休み時間の間に鯉の数を数えられるかを考えましょう」と返答、これに対して担任教師は激昂するのだが、佐山に発達障害の特性を諭されて、最終的には女児に寄り添う姿勢を見せるのだった。

 そして、スクールカウンセラーから新たな相談が持ち込まれる。授業参観の直前に教室に掲示されていた自分の絵を破り捨ててしまったという児童についてだ。その児童が描いた絵は、本人は上手く描けていないというものの、大人の目から見ても圧倒的な画力で…。

ふたりの「先生」のやりとり

 今回のクライマックスシーンは、発達障害の疑いのある女児の担任と佐山という〈ふたりの「先生」〉のやり取りにあると思う。今回のエピソードの中で相談者の役回りとなる担任教師の心情の変遷、具体的にいえば相談を持ち掛ける際の不安な感情から佐山の返答に対して激昂、佐山から発達障害の深刻な二次障害の説明と説諭を受けて女児に寄り添う姿勢を見せるまでの一連の流れがすべて担任教師の〈目の色〉と〈視線の向き方〉で語られているのが実に素晴らしい。まさに、〈絵〉がお芝居を付加されて〈画〉になっている。

「〈目線〉のお芝居で語る」超絶技量

 具体的にどういうことか。本編の〈画〉そのものについては、本稿では掲出を控えるので、本誌を購入するか電子版を購入するかして本編をご覧いただきたいのだが(これは、少なくとも商業出版に対して果たすべきリスペクトであると私は思っている。本稿末尾に電子版のURLを併記するので、併せてご確認されたい)、以下に担任教師の〈目のお芝居の変遷〉を追ってみる。

 まず、佐山のクリニックを訪れた初登場のコマ。担任教師の目はまっすぐ前を見据えており、はっきりとしていて、この担任教師が本質的に好青年であるということを示唆している。

 次に、佐山に女児の行動を「どうやったらやめさせられるのか」と相談を投げかけたことに対し「いえ」という返答を受けるシーン。わずかに目を見開き、加えてわずか一本の線だけで表情の微妙な動きとそこから見て取れる内心の動揺を的確に表している。

 続いて、佐山の返答に眉をひそめながら反論を始めるシーンを挟んで「どう見ても普通じゃないことを手助けしていったい何を解決しようって言うんですか?」と激昂するシーン。これまでの好青年を思わせる描写と打って変わって、一転ヒステリックとも思われる言動に出るのだが、ここでは激昂する担任の表情を大写しにしたコマが挟まれており、そのコマの中の担任教師の表情は眉を吊り上げて非常に攻撃的。しかしながら目線の力強さは表情そのものとは釣り合わずどこか〈疲れ〉と〈迷い〉が見て取れる。発達障害の当事者と近い場所で接している人の心情そのものなのだろう。このシーンはヨンチャン・竹村優作両先生の綿密な取材のたまものではないだろうか。

 そして、佐山から発達障害の二次障害についての説明を受けるくだりでは、今度は担任教師の目だけが大写しにされたコマが挟まれ、その目には自らの認識のずれを指摘されたことと、そのずれの深刻さに気が付いたことへの動揺の色がありありと浮かんでおり、続いて佐山の説諭を受けた直後の目は今度は一転して作中の中で一番〈輝いて〉描写されている。女児に寄り添うための方策を提案する段になっては、担任教師の目は登場当初の好青年のものに戻っているのであった。

 文字にして羅列すると、私の文章力のなさも相まってどうしても冗長になってしまうのだが、百聞は一見に如かず。ぜひ本編をご購読いただきたい。

このお話から「わかってほしいこと」

 発達障害当事者として、今回のエピソードから当事者以外、とりわけ近くに当事者がいる人たちに「わかってほしい」のは、この認識の〈ずれ〉の実態と、その〈ずれ〉を知ることが発達障害の理解と社会的緩和(社会の中で緩やかに受け入れられることという意味でこの言葉を使わせていただく)につながっていくのではないか、ということである。

 この認識のずれを「無理解」という乱暴な一言で片づけるのは誤っていると個人的には思っている。そもそも発達障害が思考回路の機能の違いの表出であるのするならば、当事者以外の人間が直感的に理解をすることは不可能だと思われるからだ。しかし、いわばこの「無理解〈状態〉」が、発達障害当事者にとって社会からの孤立、ないしは二次障害の発症につながっているのは間違いないと思われる。重ねて言う通り私は専門家でも医療従事者でもないので断定的なことを言える立場にはないのだが、少なくとも自身の経験と「抑うつ」状態を抱えるに至った過程を振り返る限りは、それは確かなことではないかと実感するのだ。

 どうか、発達障害と「常識」を取り払って向かい合ってほしい。『リエゾン-こどものこころ診療所-』が、そのきっかけになってくれればいい。第3回を読んで改めてそう思った。そして重ね重ね、発達障害は「こどもだけの障害」ではないということもどうか知っていただきたい。

最新話は「モーニング電子版」でも読めます。

Dモーニング http://d.morningmanga.jp/

個人的には、是非紙で流通しているものも手に取っていただきたいと思うのだが、そこはここのライフスタイルに合わせて…

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