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労働基準監督署と属地主義の話し

今回のnoteも証拠説明書の説明をはなれて、私の本人訴訟のきっかけにまつわる少しマニアックな話を。「労働基準監督署」と「属地主義」についてです。

まず、労働基準監督署(以下、「労基署」と言います)。ブラック企業やパワハラが社会問題となるなか、多くの方がどこかでは聞いたことがあるのではないでしょうか。労基署とは、労働基準法や労働安全衛生法など労働に関する法律に基づいて事業者を監督する厚生労働省下の機関です。行政監督の権限だけでなく、刑事訴訟法に定められる司法警察員の職務も担います。労働基準法には懲役または罰金という罰則も定められていますが、労働基準監督署は労働基準法違反について事業者に対する捜査や送検も可能なわけです。

そういや以前、労働者の味方として大活躍する労働基準監督官のテレビドラマを見たことがあります。労働者の力強い味方・・・。私も自分自身が労働トラブルに直面して、最初の最初に頭に浮かんで、まず相談をしたのが労基署でした。

私の労働トラブルの特殊性は前回のnoteで述べました。雇用契約の当事者は、元従業員の私と元雇主の日本法人。これは普通です。しかし、私の就労場所は、その日本法人のフィリピン子会社があるマニラ首都圏。そして、フィリピンでの私の勤務に関係する法律行為について、民事上の争いが起きています。つまり、日本とフィリピンの二か国が登場しているという状況。

私は、最初、労基署の担当者へ自らの労働トラブルについての詳細説明をしたうえで、元雇主の会社に対する法に則った処罰を求めました。というのも、労働基準法を読む限り、サービス残業は労働基準法第37条違反、6ヶ月以下の懲役または30万円以下の罰金と同法第119条に定められているのです。「これは使える」と思っていました。

しかし、私のそうした期待はすぐ裏切られました。以下、法律にそった会社への処罰を求める私と労基署の担当者とがやり取りしたスクリプトです。

労基署担当者:「日本の刑法は属地主義なので、フィリピンでのサービス残業について刑事罰を問うのは無理です。フィリピンでなら、現地の法律で刑事罰を問えるかもしれません、わかりませんけど。日本でやるなら民事ですかねえ。」 

*ここで「属地主義」が出てきましたが、 まずは会話を続けますね・・。

私:「いやっ、それ、おかしいでしょう。悪い奴を成敗するのがオカミでしょ。私の元雇主は健康保険法にも厚生年金保険法にも違反しているし、パワハラもやっているんですよ、けしからんと思いませんか。これからも同じ被害者が出ますよ、それでもいいんですかっ!?」

労基署担当者:「いや、そんなこと言われましても困ります。うちは労働基準法に基づいて動くわけですから。」

私:「じゃ、民事でもいいです。それでやってください。」

労基署担当者:「(失笑・・)いやいや、民事はご自身で弁護士をお探しになってください。労働基準監督署は関係ないですからっ。」

今となってはお恥ずかしいのですが、当時何も知らなかった私はこのような会話をした次第です。労基署担当者が冷淡にも「労働基準監督署は関係ない」と言うのには、理由があります。その一つが「属地主義」です。では、解説をしましょう。

属地主義とは、法律の適用範囲の考え方です。日本の領域内で発生した犯罪に対しては、行為者の国籍を問わず日本の刑法を適用するということ。労働基準法も、その「公法的側面」においては属地主義を採用しています。「公法的側面」とは、懲役や罰金という罰則を科すような公権力の行使にかかわる規定の部分です。労働基準法違反について、労働基準監督署が司法警察員として機能したり事業者を捜査・送検したりすることは、公権力の行使そのものです。公権力の行使は属地主義に基づいて日本国内に限られますので、労働基準法違反に対する罰則は日本国外の現地法人や支店には及ばないのです。 

私のケースでは、サービス残業は日本の領域内で発生したものではないため、日本の労働基準法の公法的側面は適用されないということなのです。ということは、私と元雇主の争いは労働基準法の「公法的側面」ではなく、あくまで私的な争い(=民事)になります。そういうわけで、国の機関である労働基準監督署は公権力を行使できない、なので「労働基準監督署は関係ない」となるわけです。

もちろん、サービス残業は労働基準法と関係があります。しかし、それは、私と元雇主の間の私的な争いに、労働基準法の「私法的側面(私法上の権利義務関係を定める法規)」が適用されるかどうか、言い換えれば日本の法律である労働基準法が民事上の準拠法とされるかどうかに依存するのです(準拠法については第39回note参照)。私と元雇主の私的な争いで、準拠法が日本法とされるなら、日本の労働基準法は私のサービス残業に関係してきます。しかし、準拠法が日本法とされないなら、原則日本の労働基準法は私のサービス残業には関係ないのです。

というわけで、労基署は、私のフィリピンで発生した未払い残業代については、属地主義の壁があることから公権力を行使することはできない、罰則は適用できないという結論となるのです。

ちなみに、労働基準監督署は、健康保険法や厚生年金保険法に基づいては職権を行使できません。ましてや、「パワハラを何とかしろ」と言われても確かにちょっと困るでしょう。私の「悪い奴を成敗するのがオカミでしょ」との問いかけも、理念としてはその通りなのでしょう。しかし、公権力は法律に基づいて行使されなければなりませんから、労働基準監督署もやみくもに私見では動くことはできないのです。

以上、私の実体験にからむ少しマニアックでニッチな話でした。しかし、私の知る限り、現実問題として、海外の日系企業で働く日本人が雇主との間で労働トラブルを抱えるケースは少なくありません。ほとんどが労働者側の泣き寝入りに終わってしまいます。さらには、そうした場合、その日系企業で働く現地従業員も不当な労働環境にある場合が多いです。私は、それを「ブラック性の輸出」と言っています。機会があれば、もう少し深く言及したいと思います。

最後に余談ですが、後日私は「昭和25年8月24日基発776号」という労働省(現厚生労働省)の通達の存在を知りました。「基発」とは「労働基準局長が発する通達」くらいの意味しょうか。それには、「労働基準法への違反行為が日本の国外で行われた場合には刑法総則の定めるところによって罰則は適用されない。ただし、日本の国内の使用者に責任がある場合にはこの使用者は処罰される。」と書かれているのです(通達は、厳密には法律と同義ではありませんが・・・)。

前半は属地主義のこと。一方、後半の「日本の国内の使用者に責任がある場合にはこの使用者は処罰される」という部分。労働法に詳しいある弁護士は、「日本の国内の使用者に責任がある場合」の例として、日本の国内で支払っている賃金があるときを挙げています。この場合、労働基準法違反の事象が日本の国外で発生したとしても、使用者は処罰の対象になるとしています。これは私のケースに該当するかもしれないと思いました。私は、このことを知って、ある労働基準監督署の担当課長に相談してみました。同課長は、この通達について知らなかったと言いつつ、「(刑事罰について)検討してもいいが、今のタイミングは公訴時効があるからもう遅い。」とのコメント。なんとも無責任と感じざるを得ませんでしたが、刑事訴訟法第250条2項によれば、労働基準法違反では公訴時効は3年となっています。捜査・起訴に必要とされる時間を考えれば、公訴時効の3年は過ぎてしまうとの判断だったのでしょう。最初に相談したときに検討してくれていればと思いましたが、今となってはそんなことを言っても仕方ありません。 

今回も相当な長文になってしまいました。ここまでお読みいただきありがとうございます。次回のnoteは、証拠説明書の説明に戻ります。お楽しみに!

街中利公

本noteは、『実録 落ちこぼれビジネスマンのしろうと労働裁判 労働審判編: 訴訟は自分でできる』(街中利公 著、Kindle版、2018年10月)にそって執筆するものです。

免責事項: noteの内容は、私の実体験や実体験からの知識や個人的見解を読者の皆さまが本人訴訟を提起する際に役立つように提供させていただくものです。内容には誤りがないように注意を払っていますが、法律の専門家ではない私の実体験にもとづく限り、「誤った情報は一切含まれていない」「私の知識はすべて正しい」「私の見解はすべて適切である」とまでは言い切ることができません。ゆえに、本noteで知り得た情報を使用した方がいかなる損害を被ったとしても、私には一切の責任はなく、その責任は使用者にあるものとさせていただきます。ご了承願います。

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