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情報の非対称性(前編)

自分はわかってるのに○○ガー

趣旨

公共施設マネジメントの現場でよく耳にするのが、「自分はセミナーや書籍などで学んでいるし、高い意識を持ってやろうとしているのに〇〇がわかってくれない」からできない。。。という嘆きです。

これは、公共施設マネジメントだけでなく、行政では(一般社会でも)完全な「あるある」です。
拙著「PPP/PFIに取り組むときに最初に読む本」でも指摘していますが、特に行政は民間企業とは異なり経済合理性や利益といったわかりやすい評価軸ではなく、それぞれが多様な評価軸で価値判断をしてしまいます。

そのような状況を前提としても、プロなので「結果を出す」ことが必要です。
今回は、この問題を「情報の非対称性」という観点から考えたいと思います。

「情報の非対称性」の種類

  • 担当者⇔係内・課内

  • 担当課⇔庁内(事務方)

  • 庁内(事務方)⇔市長・副市長

  • 執行部⇔議会・市民

  • 行政⇔民間事業者・(一般の)市民

情報の非対称性は、上記のとおり様々なレベルで現実的に発生します。
レベルによって対応の仕方は異なってきますが、大事なのはその全てに「担当者」が関係していることです。

学ぶことは尊いが。。。

暗黙知では意味がない

自分が日本PFI・PPP協会時代から毎年実施しているPPP入門講座では2022年度も約300名の方にご参加いただきました。

この他にも都市経営プロフェッショナルスクールなどの本格的なものから国・コンサルなどが主催するものまで、オンラインが充実してきたこともあり(グレードは千差万別ですが、)多くのセミナーが実施されており、視察や研修なども含めて「学ぶ場」は溢れています。
積極的にこのような場へ出向いて学ぶことは本当に重要です。しかし、本人だけが「わかって」いても周囲にその知識・ノウハウが共有されなければ暗黙知でしかありません。
これを、組織としての形式知、更には実践に基づく経験知に置き換えていくことこそが求められているのです。

外での活躍≠本業でできないことのエクスキューズ

積極的に外で学ぶ人たちのなかには、まちに飛び出して様々なプロジェクトを興す人たち、活躍されている方々も多くいます。それ自体は本当に素晴らしいことですし、まちにとっても大切なことです。

ただし、これも本業あってのことです。本業で今回のテーマにあるように「自分はわかってるけど〇〇ガー」となってしまっては、本末転倒です。
更にそれが先鋭化して内部批判になってくると、余計に組織内部としても「あいつは。。。」となってしまい、できることまでできなくなってしまいます。

外での活躍は本業でできないことのエクスキューズ(≒言い訳)にはなりません。「組織内部の人間がアホだからできない」と嘆いているうちは、そのアホだと思う人すら説得できないのだから、自分も同等程度でしかありません。その組織が腐っていて修正できないと思うのだったら、なぜ腐った組織に居続けるのでしょう。

自分も公務員時代に、「なんであの人のハンコをもらえないんだろう。。。」と思うことは多々ありましたが、やらり自分もそのレベルでしかなかったのです。

情報の非対称性

自分の努力・スキルが足りない

「〇〇がわかってくれない」と嘆いている人と、その相手となる「〇〇」の間にはほぼ100%、情報の非対称性が存在しています。特に行政の場合は旧来、「国から言われたことを素直に、「経験と勘」で「一部の声の大きい市民・市長をはじめとする幹部職・議員」の顔色を伺いながら実施していればよかったのです。

しかし、公共施設マネジメント・まちの衰退・人口流出・脱炭素・少子化など現代的な行政課題(というより「まち」の課題)は、これらの旧来型の思考回路では全く通じません。もちろん、国からの文書にアンサーや確実に課題を解決できるマニュアルも載っていません。
実際に自分も公務員時代の最後の部長の口癖は「(新しいこと・今までと違うことして)何かあったらどうするんだ!」でした。当の本人はノーアイディアで市長・副市長や議員の顔色しか窺わず、大した勉強もしないので全く話になりません。
大半はこの段階で「〇〇ガー」と諦めてしまい、情報の非対称性が発生するのです。つまり、情報の非対称性を発生させているのは、当の本人なのです。
本人の問題だからこそ、自分の努力とスキルで情報の非対称性を予防・防止していける可能性があります。

自分が媒介になること

自分たちのまちをしっかりと見つめ、地域コンテンツ・プレーヤーと共に試行錯誤していくしかないのです。そのときにヒントになりうるのが先行自治体や民間事業者の取り組みです。

「自分だけ」学んでいるのでは意味がありません。セミナーや書籍で「この人とやってみたい」「このやり方を試してみたい」となったら、気づいた人が関係者の理解を求めていく(、最悪は理解してもらえなくても組織的な合意をもらう)ことをしてかなければいけません。

自分が媒介となる覚悟・決断・行動をするのが手っ取り早いですし、それすらやらない(≠できない)のは本人も不作為でしかありません。

後編の予告

後編では、情報の非対称性を予防・防止する具体的な方法論を実例ベースで考えていきます。




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