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【渋谷一雄さんインタビューVol.2】そこに川があるから橋を架ける、架け橋となる 

渋谷さんの取材の様子

 今年の4月から始まったNHKの連続テレビ小説『ちむてんてん』では、沖縄県の村で住民が出資して生活必需品を販売する売店を営み、その利益を分配していた様子などが描かれている。現代は建前上、役所などの国や自治体の機関が一定の予算で公共の事業を行う時代だが、ボランティア活動に対する関心も高まっている。

 長年、公立の中学校・高等学校の教員が部活動に携わっているなど、地域の活動と地域の仕事の境界は曖昧で背景も複雑だ。最近のボランティア活動というと、地域の復興のために外部から人が来て手伝ったり、こども食堂をサポートしたりすることが目立っているが、もっと緊急性の低いボランティア活動もある。

 コロナ禍など、社会の状況が変わって人の動きも変化している中で、そうした活動は今、とても重要な意味があるという意見もある。流山に在住で、ボランティア活動の経験も豊富な渋谷一雄さんに話を聞いた。

<第1回目はこちら>

渋谷一雄さんプロフィール:
大学卒業後、建設会社に勤務(習志野市で6年間、流山市で20年間)。その後中村組を経て、起業して3期目。

渋谷さんが取り組む活動


 現在流山市内で建設業を営む渋谷さんは、消防団員となって15年目となる。個人ボランティアとして東京理科大学の「利根運河シアターナイト」、大畔の稲作に携わる他、「西初小おやじの会」にも所属し、バザーや花火大会、キャンプファイヤーなどの様々な取り組みに参加している。

 渋谷さんは大学で都市計画学を専攻した。一般的には都市計画を学んだ人は役所などで働いて各地域の都市計画を立案する人が多いのだという。しかし、渋谷さんは事務系の職場ではなく、下水道工事や橋梁工事、区画整理工事、外構工事などを行うスペシャリストとなった。その理由は渋谷さんの出身と深く関係がある。

地域を支えるには、地域を知る必要がある

 現在の千葉県と埼玉県の県境を流れる江戸川沿いは、古くから交通の要所として栄えてきた。流山市役所周辺の旧市街地の街並みには、江戸時代の名残がある。戊辰戦争時には、新撰組の近藤勇も足を止めた。流山キッコーマンが発祥し、市民の力で私鉄(現:流鉄流山線)も開通した。長い年月をかけて市民が汗を流した痕跡が各所に残っている。

 渋谷さんの家系図を遡ると、江戸時代中期にまで到達するという。「たぶん、自分で10代目くらいではないか」と推測する。このように、流山市は首都圏のベッドタウンであると同時に、古くから人が暮らしている豊穣な土地でもあるのだ。

昔はこのような瓶でみりんを保管したようだ。地域産品のみりんを活用されている活動家が希望されたため譲られて花瓶のように。

 日頃、渋谷さんが行う土木工事は、渋谷さんの生まれ育った環境と深い関係がある。「土木は経験工学とも言われる、経験や勘が重要な技術。そうした勘の中には、土地勘も含まれて、重要なポイントです。地元業者が地元のインフラに関わることがとても大切だと考えます」(渋谷さん)

 さらに、渋谷さんは地域のインフラを支えていると同時に、様々な場面で顔を出している。「西初小おやじの会」は、地元のラーメン屋などで顔を合わせていたメンバーで構成されている。2019年から流山市立西初石小学校の校庭を活用したバザーなどを開催したり、新型コロナウイルス感染症が感染拡大してからは、主に林間学校が中止になってしまった小学校高学年に向けて、やはり校庭を借りてキャンプファイヤーを実施したりした。

 「利根運河シアターナイト」は、流山市に隣接する野田市にある東京理科大学の建築学科生が主催する、「運河水辺公園で行われる光と水のおまつり」だ。実は、屋外観賞用のシアターセットの発注を受けたことに始まる。もらった仕様で見積もりを作ると、学生達のイベントとしてはとても高額な値段になってしまった。そこで仕事としてではなくボランティアとして設置を行った。

いままでにない状況をどう乗り越えるか

 そうはいっても、ボランティア活動それ自体はそんなに珍しい話でもないかもしれない。おやじの会も全国に見られる。流山市の不思議な点は、ただ派手なイベントを行うということではなく、地元の人が主体的に、様々な人と交流を図っていることだ。

 「市内の農村地域では、昭和の前半くらいまでは稲作を協力しあったり、藁葺きの屋根の葺き替えを協力しあったりしていたと聞きます。お互いの協力なくしては生きていけなかったので必然的に結束力が高かったのでしょう」(渋谷さん)

 市内には、「流山」という地名の由来になったと言われる「赤城神社」や、江戸幕府の開始により地域の産業が栄えていった経緯の記録も市立博物館内に残されている。20世紀になってからもそういった流山に関心を持ち、様々な形で文化をつくったり、文献を残したりした人もいる。さらに、「今の現役世代については何とも言えませんが、肌感覚としては地元愛が強いと感じます。ですので、その地元愛からの結束が生まれているという感覚でしょうか」と渋谷さんは続ける。

花火大会をパトロール

 そういった流山市の「不思議な交流」を生み出す顕著なものの一つに、消防団がある。

全国的に見ても、消防団は半世紀以上前から団員の減少と他の職業の掛け持ちが続いている。流山市の公式な発表によると、消防団「江戸川町消防団」が発足したのは昭和26年。そして流山市消防本部が発足したのが昭和39年。現在は消防本部の消防職員が火災・救急などに備え、24時間交代で勤務している以上、消防団の役目は発足当初と比べれば緊急性は小さい。

だが、地震などの大規模な災害や、消防職員だけでは人員が足りない場合などは消防団の組織力が必要になってくるので消防団は役目を終えたわけではない。渋谷さんによれば「親も周りもやっていた」などの日常的風景もあり、「自然と団員となるように育ったんじゃないか」という感覚があるようだ。

「消防団は、市民の安全・安心を守る意識を持った人の集まり。いざという時の結束力が必須になる。だから必然的に結束力が強くなる」(渋谷さん)

地元愛と市民の関係は、鶏と卵の関係のようでもある。先人が切り開いた道や市内に残された建造物、そして川の両岸に架かる橋がそんな気持ちにさせるのかもしれない。けれども確かなのは、そうやって道を作り人々の暮らしを支える技術が今も昔も息づいて生活に欠かせないものであり続けているということだ。

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編集後記

上のなかに書けなかったのですが、渋谷さんが「今、流山市は変遷期であり、『地元民』といわれる元々の地の人々よりも遥かに『新規転入者』といわれる最近流山に来られた人々が多くなっていて、両者の力なくしては乗り越えていけない状況にあると思います。地元が大好きだから、地に根付いた自分が新規転入者や若者や子どもらとの架け橋になるようなことは、できることはやっていきたい。」と言葉を気にして選びながらお話しされていたのも印象的でした。

最近はコロナ禍で人が移住して人口が増えている地域もあるそうで、やはり『地元民』と『新規転入者』に分かれる状況が生まれているようです。ただ、そういった言葉で括ってしまうことで様々な地域が「東京⇔地方」という二項対立で語られてしまうのは悲しいなと思います。

色んな土地で培われてきた文化や歴史があること、それぞれ違っていることなどを伝えていく機会が失われているではないでしょうか。「世の中には色んな暮らしや文化がある」ことを知っていることが平和の道なんじゃないかなと思います。

丹野加奈子:大学で美術史を学び、主に楽譜などを編集する音楽関係の出版物の制作会社で営業や編集、アートディレクションに携わる。27歳頃、SNSに投稿した読書感想文約200本分を編集プロダクションに持ち込んだところ、広告記事執筆の取材に誘われてライターに。定期購読誌やwebメディアでの記事執筆、書籍の編集・構成(ブックライティング)を行っている。得意分野はアート、デザイン、漫画など。趣味は、地域の銘菓の写真を撮ることと、デジタルイラスト作画。

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