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記念

(平成三年九月)

 乗りかかった船というものに乗った。
今月のカレンダーには10日、11日はわたしの挑戦の日で、これはわたしの自分への誕生日のプレゼントであることをはっきりと意識するための印をしておいた。
 この挑戦には連れがあった。知りあいのHの下で働いているYという女の人で、かねてからHは大型特殊の免許を彼女にも取らせたいと考えていた。わたしの誘いでYさんもその気になっていっしょに東海の日立建機へ電車で行っくことになった。
 わたしがこの資格のことをいろいろ聞いたSは、Yの同僚であるが、彼女がこの資格を取ることにはどうやらいい感じをもっていないらしかった。自分が彼女に差をつけられるのは実にこの資格があるからであって、もし彼女に同等の資格が与えられると女ながら汚れる仕事もいとわずにこなす彼女にたいして優越感をもつことができなくなる。
 この資格に限らず、 これからは従来は男の仕事として通用してきたしごとに女が同じように進出していくのは、社会、あるいは世界全般の傾向であって、女なのに…という批評は何事にもだんだんあてはまらなくなる。
 柏のキャタピラー三菱の教習所にはたくさんの女の人が来ているということであったが、千葉に比べると茨城はやや遅れているのか一割に満たない女性の受講者しかいない。わたしに引っぱられて仕方なくついて来た感じのYは、ふだんの仕事ぶりにも似合わず弱気になっていたが、わたしたちは現代の女性の最先端を行っていると思わなくっちゃ、と励ました。
 聞いていた話とは違って試験が学科、実地ともにあるらしいことがわかった。学科はともかくも、生れてこのかたバックホウなど乗ったこともない、触ったこともないわたしには不安この上ない話で、しかも一日目の午後には外で早速実地試験があるという。励ました勢いがたちまちしぼむようなりゆきである。
 受講者42人のうち女性は、わたしたちのほかに若い人がひとりいて3人であった。 さらに、全員の中でこれまでに一度も建設機械を運転したことがないというのはわたしただひとりで、大きな声で「はい」と手をあげたわたしを見た教官の顔には、非常に厄介なお荷物をしょいこんでしまったと書かれていた。
 学科は二日にわたって一般的な知識、メカニックについては油圧と電気、地質学、力学、さらに法令と全般に及ぶ。自動車の運転免許のときには主として法令が重んじられた試験がされるから、メカニックについてはほとんど 上の空で聞いていたのでいまだに車がなぜガソリンで動くのかを正確に順序だてて説明することができない。 しかし、今回は少しばかり場合が違う。 油圧のメカニズムについてもよく話を聞いてにわか仕込みにしろ知識を詰め込まなくてはならない。試験の要領や範囲がさっぱりわからないからである。講義はビデオを使いながら進められて、テキストだけでは理解できないこともよくわかるようになっていた。わたしは高校卒業後にポンプの製造会社に勤めていたので、多少専門的な用語もまだ覚えている知識で理解を補うことができた。人生何がさいわいするかわからない。しかし、問題は実地である。まさに大問題である。ほかの受講者は現在なんらかの形で建設に関する仕事に携わっている人たちばかりで、ここに来るまでにたとえ資格がなくても何度かは機械を動かした経験を持っている人ばかりである。いっしょに来たYでさえ、少し前にHが計らって下請けの工務店のバックホウを何時間か運転させてもらったと言うではないか。
 わたしはさすがに恥かしくて「食料品の小売をしています」とは明かせなかったが、実地の担当の教官に「ただの主婦です」と未経験をありのままに伝えて覚悟を決めてもらった。いちばん最初にわたしが運転することになり、手順を聞いてその通りにして前についているアームやバケットが動いたときの興奮は、多分あの場にいた人達にはわからないほどのものであっただろう。わたしが動かしているのだ、という感じは初めてウルトラ・ライトに乗ったときと同じように新鮮でわくわくするものであった。
 しかし、左右にあるレバーはまったくわたしの思い通りにはいかず、小高く盛られた土の山には二グルー プのために二台のバックホウが据えられていたが、わたしの乗っている方は絶えず不器用に動き、ときには機体が土を叩いてしまったバケットの衝撃で持ちあがり、開始前に言われた「あまり土を削らないように」という注意もなんのその、がっぽり堀りあげてしまっては旋回した先に乱暴に落とすというありさまで、たまりかねた教官はもう降りろと言ったものである。きっと機械を壊されると思ったに違いない。
 明日お昼休みに少し練習するようにと指示された。ほかの人が運転してるときに隣りに座っていた人に聞いた話では 一台八百万円はするであろうという機械にほかの人よりも余分に乗れるのである。これから先いつ運転する機会が巡って来るか知れな いわたしにとっては願ってもないチャンスである。 
 次の日に行くと、いちばん前の席しかあいていなかったのでふたりで並んで掛けていると現れた教官は「お、今日はやる気だな」と言ったが、こっちにはもともとやる気はあるのである。説明するのもめんどうだから遠慮がちに「ほかの人と同じにしかお金を払っていないのにわたしだけよけいに乗れるのはとってもトクだと思います」と言うと、うしろの人たちからドッと笑い声が起こった。 わたしはほんとうにそう考えているからそう言ったのであるが、ある人達はただの負け惜しみと思ったかも知れない。
 お昼休み、小雨が降っていたが勇んで丘に登り、ほかの人の五倍はゆうに運転の時間をもらった。Yと教官がふたりで見守っていた。そのうち教官はわたしの動かすアームにもバケットにも注意しなくなった。これはつききりでなくても大丈夫だという証拠である。
 「もう大丈夫だ、体が覚えたから」というお墨つきをもらって、わたしは運転席で思わず手をたたいてしまった。
 四時から学科の試験があり、こういう場所の試験にしてはかなりヒネッた出題のしかたで、たった十四問しかなかったが迷いなく解答できるのは三分の一ほどである。いねむりをしながら聞いていた人にはかなり難渋する試験であったらしい。三分の一ほどの人が前にいる担当の教官のところへ解答用紙と問題をもって行ったころにわたしも提出した。教官は次々と解答を点検して及第点に至らない人にはもう一度返却する。 わたしはさいわいにも一度で「はい」といい返事をもらえた。 Yはかなり難渋した人達の中のひとりに なってしまったようであったが、前の日にわたしは彼女に言っておいた、「落とすために試験をするんじゃなくって、わたしたちはお金を払っている、向こうにとってはお客さんなんだから、何としてでも受からせてくれるはずよ。だからきっと大丈夫よ、心配しなくても」と、これは彼女に対してよりもわたし自身にいい聞かせるための言葉であった。その通りに多少の時間はかかったが、Yも無事に修了証をもらうことができた。
 電車を降りてからも私の口もとはひとりでにしまりがなくなってしまって、こんなに意義のある誕生日プレゼントを思いつく人はそういないだろうと満足した。
 たいていの人はわたしのような人間が、この資格を取ってどうするのだと思うであろう。将来この資格を生かすことができれば「望ましい」とは思う。持っていれば役に立つときが来るかもしれない。が、来ない可能性の方がずっと高い。
 わたしにとって大切なのはこの資格を取るまでのプロセスであって、自分でこうと決めたら最後まで投げないでやり通すというそのこと自体なのである。
 一日目に見かけた若い女性は、運転は経験があるらしくまあまあという点をもらっていたのだが、実地試験のときにやかましく言われていた安全確認を忘れてしまったために居残りをしてやり直すように指示された。それでいやになってしまったのか、二日目には来なかった。
 せっかくお金を払ったのにもったいないし、第一自分に対して悔いが残るではないか。わたしはそういうことはしたくない。ただそれだけである。

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