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自分へのプレゼント

(平成五年九月)

 五十才になった。ついに大台に乗った。大きな声で言えない年になったという感じがする。しかし事実は事実である。二年前にはユンボの運転免許を取って自分へのプレゼントにした。去年はとくに何もなかったが、今年は何にしようか。あいにく日曜日と重なり、朝早くから仕事でつくばへ行くことになった。 お昼少し過ぎに仕事が終わり、帰りに書店Y堂に立ち寄った。いちばん奥がわたしの好みの本のコーナーで、みすずや勁草書房、青土社などの本がかなり揃っている。購入したのは買うと決めていた岩波新書版の「量子力学」だけである。
 今日の売上げの目標金額は達成したので気分も悪くない。今日の残り時間の過ごしかたを考えた。そうだ、何か自分へプレゼントをしなくちゃ。
 約一ヶ月前のお盆の休みに、ひとりで難台山に登ろうとして途中で引き返している。今日はその頂上をきわめることをプレゼントにしようじゃないかと思った。善は急げということがある。山に登ることが善であるとは思わないが、とにかくA氏にたいする意地というものもある。配達を終えてすぐに服を変えて、おとうふ屋さんの先のところから山に向かった。案内板のあるところまで車で行き車を止めるやいなやすぐに登り始めた。
 晴れてはいないが雨の心配はなさそうである。気になったアブはもうまったくいない。野菊が咲いている。アザミも咲いている。ムカゴがある。上の方へ行くとミズヒキ草が目についた。案内板にはそこから難台山の頂上までは四十分と書かれていた。健脚のための時間だとすれば、わたしの足で一時 間みればじゅうぶんであろうと思った。今では六時というともうかなり暗い。わたしペースでも暗くなるまでには車を置いたところまでもどれるはずだと計算した。
 七月の始めにA氏といっしょに登ったとき、途中でわたしがダウンしたところまでが初めの目安になったが、わたしが考えていたよりもずっと距離があり、あのときにはひとつ山を越えていてこの急坂を登ったのかと驚く。その少し手前にロープのある斜面があり、わたしは今日はロープは使わずに斜面をジグザグに登った。途中でふたりの男女に会っただけで、ほかにはだれにも会わなかった。山を歩き慣れている人達であることがひとめでわかるような感じであった。
 初めてあるく山道にさしかかってまもなく、「ししケ鼻」という岩があり、それはこの間引き返したところから五分くらいの場所にあった。行ってみて、加波山のあの岩とそっくりの状況に驚いた。ただ岩のまわりの木の繁りかたが加波山よりは多いので、やや視界がふさがれている。それでも八郷の田園風景が下に広がっているのがよく見える。こんどA氏と来るようなことがあれば、ここにはぜひ座りたいものだと思った。
 登りが苦しいことには変わりがないが、ひとりというのは気楽なもので、よけいなことを考えなくてもすむし、休みたければいつでも休める。しかしほとんど休まなかった。頂上へ着いたらゆっくり休もうと思ったからであるが、頂上は意外なほど早くゆくてに現れ、「お疲れさまでした。 ここが難台山の頂上です」と書いた板が立っていた。見通しが悪く、ししケ鼻で見られたよう景色は望むべくもない。休むつもりであったが、五分もそこにいずに降りにかかった。頂上に咲き初めのヤマハギがあり、二本ばかり失敬した。これを押し花にしてA氏に本のしおりに仕立てさしあげようと思ったからである。わたしへの無形のプレゼントは難台山への登山であるが、これを記念する有形のプレゼントにはこの押し花がいいと思って、降りながら花をいくつか摘んだ。
 帰るとすぐに新聞紙の間にそれをはさみ重しをした。明日あたり、A氏はエゴン・シーレ の本を届けてくれるはずである。そのときに今日の報告と共に彼にしおりをプレゼントするつもりである。


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