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老けて見えると

(平成二年六月)

 高校生のときにスーパーに買物に行くと決まって「奥さん」と言われた。 冬の間はそれが暖かいのでずっと和服を着ていることが多かったせいもある。和服といっても上下セパレーツ・タイプの簡単に着られるというヤツで、めんどうな着付けなど何もいらない。袖が筒になったような簡略式の羽織なんかを着て買物かごをもって魚屋さんのお店になんぞ行こうものなら、何もお店の人に限らずだれでもわたしが高校生であることは見破れなかった。
 はじめのうちは「奥さん」と呼ばれるのがいやで「失礼やね」といちいちいいわけをしていたが、そのうちめんどくさくなっていうままにしておいた。髪も上の方で小さく束ねていたし、もともと老け顔であったのだから間違われても仕方なかった。
 そのころのわたしの考えていることといったら、スーパーまでの道々歩きながら「ああ、これが高校生のわたしでなく、だれかの『奥さん』であって、親や妹弟たちのための買物ではない自分のほんとうの家族のための買物 なら…。いろいろなめんどうな経緯をいっさい飛び越えて、夫になる人はふつうの人であってもう子供もいて、考える必要のあることといえば今夜のおかずだけ、というのならどんなにいいだろう」というものであった。夫になる可能性のある人などいなかった頃のことで、今思うとあの頃わたしはただ安定した生活を求めていたのだということがわかる。
 現在、実際に今夜のおかずのことを考えるのがどれほどやさしくないかを思うと、まったくほほえましい限りの憧れで、顔の輪郭はあってもその目鼻はなかった夫のことやただ男や女ということがわかるだけで、顔も名前もなかった子供のこと、ある、ということがわかるだけで「どんな」とか「どこどこの」ということは皆目わからなかった家のことなどがすべて現実の物としてその姿をあらわした今では、懐かしい思いというにはあまりに距離がありすぎる。
 自分がずっとそのころからの自分引きずってきて、引きずってくる途中に 道ばたに落ちている鉄くずをくっつけながら来るのに似て、いやもおうもなくしがらみがくっついてきている。
 「奥さん」といわれて、実はそれほど悪い気がしていなかったのは、自分の憧れがみせかけだけであるにせよ傍目にはそう映っていたということがわかっていたからでもある。
 そのときには気がつかなかったが、自分をそのときの家族からは完全に切り離した状態で将来について考えていた自分に改めて思いが行く。
「兄弟は他人の始まり」ということをどの程度認識していたかはわからないが、少なくとも親やきょうだいはアテにしてはいけない、自分の生活は自分で切り開くという意識は持っていたことはうかがえる。引きずって来たくず鉄はたいした値打ちもないが、わたしのこれまで得てきた知恵という錬金術師によって、ことによると本物の金になるかもしれない。
 今は気だけは人一倍若いがやはり年相応に老けてしまって、おばさん体形におばさん的思考法、やることなすことおばさんっぽくて子供に笑われている。
 現実となった憧れに伴ってくるのがこういう自分であることを思いもつかなかった「老けて見えたわたし」が、あのスーパーへ向かって歩いていた道からいっき鏡に向かって白くなった髪を気にしているわたしに時空を越えてやってきたのかと思う。
 それでもなおしつこく、「足長おじさん」の中でシューディーがいっているように「若さというものはお誕生日とは関係がないもの」 と本気で信じているから、諦めの悪さも重症である。

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