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母の謡曲

 日本古来の謡曲を何に例えれば今の若い人に理解してもらえるであろうか。耳にする機会のごく少ない、まして能など見た経験のある人は探し出すのに骨が折れるのではないかと思われる。これら古典芸能と呼ばれているものは、なぜにこう非一般的なのであろうか。
 もっとも有力な原因は時間的なギャップであろうかと考えられる。宅配便がニューヨークに届けられる時代である。通信衛星のおかげで日本にいても世界各地の話題がテレビをとおして届けられ、普及した電話の恩恵は今や水、空気にも劣らないほどである。そのスピード万能の時代に、一足進むにも五秒はかかるという擦り足ではなるほど「時代遅れ」かも知れない。
 一番(一曲) 謡うのに平均四、五十分、とあってはただヒマなだけでつきあうには退屈するのが関の山。ここに日本語の古語の理解がないとただ足がしびれるばかりである。
 足がしびれるで思いだすのは春日大社の薪能。高校三年生の冬の頃だったと思うが、「一の鳥居」と呼ばれている鳥居をくぐった左手に能の舞台がしつらえられ、夕方から野天で能が演じられた。わたしはただわかるフリをして、そこにいればカッコよく見えるかも知れないと浅はかな、いやしい魂胆で寒いところに、それもよせばいいのに正座して終わりまで見ていたのである。何が演じられたのかさっぱり覚えてもいない。いかに身を入れていなかったかの証拠のようである。 さて、能が終わってみんな三々五々帰ってい きはじめたが、わたしは立つこともできずしばらくそこに暗たんたる思いで座っていたのである。かつて経験したことのないほどの「しびれ」で、果たして立って歩けるのかどうかも不安になるほどのものであった。 よそにはたった今見た能に感激のあまり席も立てないでいると見えたかどうだか。十分あまりそうしていて、どれ、もうそろそろ大丈夫かなと思って立ち上がって一歩足を踏み出すとフニャフニャフニャと上半身の重みでまたもダウン。思わずあたりを見回したのはいうまでもない。まったく恥ずかしい思いをしたものである。知ったかぶりと背伸び、それに慣れない長時間の正座はするものではない。
 若い人にとって、一時間たらずとはいえ、じっと座っているのは苦手なことも、時間的な問題とともに、謡曲が敬遠される一因となっているかも知れない。お行儀の悪い人には見てもらわなくてもいい、という言わず語らずの慣習のようなものが伝統的な芸能にはあることもいなめないが…。
 学校で習う古典の授業だけでは届かない理解が能や謡曲には要求されるので、なお一層大衆芸能からの距離が隔たってしまう。
 わたしの父は観世流の謡曲をたしなみ、その父の手ほどきを受けた母が父の死後もこれをつづけ、今ではそれなりに自分のものとしての領分をきりひらいているようである。
 わたしが高校の古典で習った唯一の謡曲は(もちろん文章だけではあったが)「隅田川」で、謡曲特有の読み方もそのときに教わっている。ストーリーはそれほど複雑でなく、「狂女もの」といわれるジャンルにはいるものである。
 こどもを人さらいにかどわかされた母親が悲しみのあまり気がふれてしまう。人身売買が実際にあったことが立証されるという背景がうかがわれる。隅田川の川岸で大念仏が行われるので、渡守が人を待っていると、その母親が来て乗船をたのむ。渡守が「狂って見せたら乗せてやろう」という。 狂女は伊勢物語の文句を引用して渡守をたしなめるが、ついに発作的に狂ったので渡守もあわれに思い、舟に乗せてやり、対岸へと漕ぎだす。その途中、今日の大念仏の子細をはなすと、回向(死者の成仏を願って仏事供養をすること)を受けるその子供が自分の子であると知った母親は舟に泣き伏せる。 そこで渡守は舟を着けてからこの母を墓所に連れていって回向を勤める。母も気を取りなおして念仏を唱えていると、その子梅若丸の亡霊が現れるが、夜明けとともに消えてしまう。
 いかにも悲しい物語であるが、この「隅田川」の語りの部分を母が謡うのを、この前奈良へ行ったときに聞く機会があった。
 お茶の間で、タンスにもたれて足を投げ出しかたひじをお膳について、謡い本はひざの上。お行儀の悪いことこの上なく、いくら自分の家とはいっても、このありさまを世阿弥さんが見たら「ああ、げに嘆かわしはいまどきのオバタリアン」とため息をもらすかも知れない。
 とにかくそういう状態で聞いたのであるが、母の語りはふだんの話す声とはまったく別人のような、男の人かと聞きまごうような声で、渡守が舟の中にいる人々になぜ今日大念仏が行われるか、そのいきさつを話す場面というものであった。
 ひざの上にある本の一字一字を目で追い、謡いかたと字の右側についている符号のようなものを注意深く照合しながらも、母の感情のこもった謡いかたに思わず涙ぐんでしまった。
 その場の情景が目に浮かぶような、そういう表現のしかたには、文章であれ歌であれかなわない。ただ目で文字を読むだけでも涙をさせる文章もあるが、それに西洋のものとはまったく異なる旋律と調子(メロディとリズム)が伴うと人間の本質的ななにかを呼びさますはたらきが起こるらしい。従ってどんな格好で聞いていようが、ふだん忘れているような心の動きがそこにあれば演じる方では成功をおさめたことにはなる。
 格式を重んじる古典芸能の開かれるべき門の鍵がそのあたりに落ちていそうな気がする家元の敷地内に近づくこともままならない現状では、門をはるかにのぞむお茶の間にいるのがちょうどよい。
 母から二十冊あまりもらった謡本は二種類の表紙で、ひとつは紺色の地に、おおむね右上方向に向かって飛翔する金色のスズメが描かれていて、この表紙の本は比較的新しい。もうひとつのくすんだ薄茶色の本は凝った表装になっていて、たとえば目の不自由な人が手で触れてもそこに描かれているのが「観世水」と呼ばれている模様だとわかるようになっている。やはりこの水の間にスズメが描かれている。
 「観世水」は流れる水をデザイン化したもので、尾形光琳の「紅白梅図」の真ん中を流れている水の模様をさらにデザイン化したものと思えばいい。本は和とじで和紙100%である。この凝った表紙のほうは大正拾年印刷と なっているから、これは持っているだけでも 相当の値打ちがありそうな本である。日本人に特有の感情「それとなく悟る、悟らせる」つまり直接的な表現を故意にさけて心を相手に伝える、その典型のような能の舞台は、シナリオにあたる謡本をみてもいかにも日本的だと感じられる。
 面、作物(小道具)、動線など、どのひとつをとっても見る側の想像力に任せ、無駄な造作は極力排除する。最少必要限度を守った分だけ「時間」に多くの時間をかけてその微妙なバランスを保っている、というのはあまりうがった見方であろうか。
母の謡曲をごく一部にしろこの耳でじかに聞くチャンスのあったことはわたしにとって今回の奈良行きの、本来の目的とはまた別の意味での成果のひとつであると思う。

(平成元年六月)


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