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私の根底には

起床してから、気圧と湿度にやられていた。いつものように掃除機をかけ、ご飯の準備をしていたら激しい動機がしはじめた。

年齢的なもので、時々襲ってくる体調不良。今回もそうだと思って薬を飲んでじっと治まるのを待っていた。

その後、朝かお昼かわからない食事をとり、ソファでゴロゴロしながらSNSを見ていた。その時、ある方のツイートを読んだ。

誰に向けて書いているのか分からないが、なぜか急に涙が溢れた。

「あれ?あれれ?」と不意打ちに出てきた涙の意味はなんだったのだろう。

ありがたいことに、継続で毎月依頼をくれるクライアントさんがいる。しかも、今月は目まぐるしく忙しいわけでもない。

また来週は、新しい仕事の面談がある。ZOOMで顔が出るから、小顔マッサージしないとなと、考えているくらい能天気な私だ。

それはそれで、緊張感がなさすぎだけど、考え込むと動けなくなり喋れなくなる性格なので、セルフコントロールとも言えるだろう。

ではなぜ、そのツイートを見て、私は涙が止まらなくなったのか。

少し考えて気が付いた。
私の根底にあったのは、娘のことだった。

・両親、健在なのになぜ施設に預けないといけないのか。
・娘は、毎日辛くないだろうか。
・私が母親でよいのだろうか。

娘は、私たち大人の勝手に巻き込まれた。死にたいと泣いていたこともある娘。今、娘は生きる希望を持てているのだろうか。

9月から、モラ元旦那との闘いは始まる。弁護士さんとの打ち合わせや準備も入念で抜かりない。勝てることは明確だ。

だがしかし私は、もしかしたら怖気付いたのかもしれない。あの、言葉の通じない元旦那と再度、関わらないといけない状況に。

やっと癒えかけた心の傷が、いとも簡単に開く可能性もある。心ない言葉の暴力によって。

想像するだけで、血の気が引く。

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今夜は、執筆をしようと考えていた。

しかし、今日は久しぶりに湯舟に浸かり、チビチビお酒を飲みながら陽気な映画でも見ることにした。

そして、まだ起きてもいない恐怖を想像するのは、終わりにする。


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