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ととのえる【整える・調える】

世界を揺るがす未曾有の事態が起こり、私達が非常事態という日常を生きることになって久しい。

私が生きてきた45年のあいだにも、非常事態は大小様々に何度かあった。阪神大震災、サリン事件、そして東日本大震災。他にも挙げれば色々あるがしかし、日本中、いや世界中の全員が、ある日突然、いつ命を落としてもおかしくない日々が続くという状況は、おそらく第2次世界大戦以来のことではないか。日本ではあまり見かけないが、特に欧米で、この事態を第3次世界大戦と呼んでいるのも肯ける。私達は今まさに、感染症という見えない敵との戦いのなかにある。

日本では、いやおそらくどの国でもそうだろうが、最初のうちは正常化バイアスが強く作用し、「そんな大袈裟なことではない、学校の休校要請なんて政府は国民を死なせる気か」といった反発の論調が強かった。しかし、政府やその他関係者の賢明な判断が功を奏し感染拡大が最小限に抑えられているなか、対岸の火事とばかりに高を括っていた欧米で感染者や死者が爆発的に急増し次々にロックダウンしたら、こんどは「日本の対応は甘過ぎる」「政府は無能」の大合唱だ。

ひとはすぐ、自分の言ったことを都合よく忘れる。

もちろん「完璧な対応」などというものはないだろう。これはいま生きている我々の誰も出会ったことのない事態なのだ。そのなかで、欧米より早くに感染者が出始めたにもかかわらず、これだけの人口と国家規模をもつ国で、他の主要国にくらべて圧倒的に犠牲者が少ないという事実は、少なくとも現時点において、政府から末端の国民まで、我々の対応が全般的に奏功している何よりの証拠だろう。

しかし、街は静かだが世間は喧しい。マスメディアは言わずもがな、誰もが発言できるSNSはさらに真偽ごちゃ混ぜの感情的な主張で溢れている。まるで大本営だ、戦中の日本に後戻りだという印象論もしばしば見かけるが、これだけ根拠に乏しい煽情的な言葉が溢れ返る状況のどこが言論統制なのか。

この国では、おそらく戦中の反省に基づくのだろうが、子どもの頃から筋道の通った文章や議論の鍛錬はあとに置かれ、「思ったことを自由に書きなさい、言いなさい、それが自己表現なのだから」と、意味もわからず読書感想文など書かされてきたが、SNSはその戦後教育の「成果」を思いもかけず可視化している。「言論の自由」という概念の履き違えと拡大解釈が、少しでも正しく言葉を用い物事を動かそうと汗水垂らして尽力している人達の足元をアリジゴクのように掬おうとしている。感情に任せてその矛先を吟味もせずに吐き散らかされた、当の本人はそれを正義や善だとうそぶいている呪いの言葉たちが渦を巻いて大挙して霞ヶ関を襲い、それで国家が転覆したら満足なのだろうが、その結果として死ぬのは誰か。それは呪いの言葉を吐いた当の我々だというのに。

「国家」という社会共同体を、なにか忌わしいもの、個人とは対極にあるものだと思い込むのは思い違いも甚だしい。我々は皆いずれかの国家に属し、その中にあるからこそ各種のインフラや制度に守られて生きている。まして日本という国のインフラや制度は非常によく整備され、それを成り立たせているのは総理や官僚、公務員から私たち一般市民に至るまでの全員だ。個人的に、仕事で法律や税制関連の一次ソースを目にすることが多いのでよくわかるが、今回の緊急事態に対しても、政府や各省庁は実に様々な助成や給付や特別措置を急ピッチで進めている。これだけのことを同時進行で進めるために、政府のトップや省庁関係者から、その指示を受けて働く地方公務員や民間人に至るあらゆる人達が、この緊急事態宣言下でどれだけ奮闘してくれていることか。

それなのに、あらゆる言論空間に、それらの人々の奮闘を踏み躙る言葉が無根拠にやりたい放題に躍っている。いま何が起きているか知っておくことは重要なので情報を完全に遮断したりはしないが、最近はニュースやSNSに触れる時間は必要最低限に留めるようにしている。言葉の洪水の渦中に飲み込まれないために。

国家の一員、すなわちこの社会の一員として、いま私にできることは何だろう。公務員や医療従事者といった最前線で血を流す戦士でもなければ、宅配人やスーパーの店員のように人々の生活維持を直に支える立場にもない私に出来るのは、家という防空壕にひたすら身を潜め、いつか必ず戻って来る「平常時」に向けて準備をしておくことだけだ。

準備といっても大袈裟なことではない。何より大切なのは、まずは心身をできるだけ健やかに保つこと。そのために、生活リズムをなるべく崩さず、栄養・適度な運動・睡眠をしっかり取るよう心懸けている。これはいま多くの人が気をつけていることだろう。

そして、これを機に、平常時にはなかなか出来ない家中の掃除や整頓、模様替えも毎日少しずつやっている。住環境を整え自分好みの内装に飾りつけていくことは心身を調えることに繋がるし、何よりも楽しい。

もちろん、整理整頓しているばかりでもない。誰かと話したくなれば親しい人たちとZoom飲み会をすることもあるし、ピアノを弾いたり好きな漫画や本を読んだり映画やドラマを観たりする。こうして好きなことをする時間も、心身を調えるのに不可欠だ。

報道やSNSといった言論空間にひとたび入ると、必要な情報だけではない有象無象の扇情的な言葉が洪水のように襲ってきて、それは医療機関や役所といった最前線とは別の「言葉の戦場」と化している。もちろんそこには正しい情報を伝えようとする真摯な言葉、傷ついた人を癒そうとする優しさや笑いも飛び交うが、多くの誤情報や煽動も満ちており、私達の誰もがそこから完全に免れることはできないし、思わぬ流れ弾を受けることもある。

だからこそ、いまは出来るだけ、各々が自己と向き合い「ととのえる」ことが大切なのだと私は思う。

夜明けは必ず来る。先進国のなかでどこよりも犠牲者の少ない日本は、夜が明けたらいち早く力強く回復するだろう。この国は「復興」に慣れている。そして更に、「コロナ後」は行き過ぎたグローバル化が軌道修正され、サプライチェーンの国内回帰が日本経済を活気づけるのが目に見えるようだ。私達は忙しくなる。人々はこれまで以上に国内で物をつくり流通させ、質の高い日本製品や日本のコロナ対応のノウハウが輸出されていくだろう。安い物や人件費に釣られたツケを世界は学んだのだから。経済の専門家でも何でもないのに、それこそ何の根拠があってそんな楽観的なことを言うのかと思われるかもしれないが、仕事柄、日本経済を牽引する人々や企業がそのために着々と準備していることを肌身に感じ知っているので、これには確信がある。

そしてきっと、長い自粛生活から開放された私達は、心置きなく旅や芸術や買い物を楽しむために、全国津々浦々に足を延ばすだろう(国外はこれまでよりも行く先を慎重に選ばざるを得ないだろう)。

その前に、己の吐く呪いの言葉で自滅しては元も子もない。いまは他者に牙を向けるのではなく、己を「ととのえる」ことが最善策なのだ。

いまは画面越しにしか会えないけれど、きっとまた、晴れ渡った青空の下で再会しよう。

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