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まっすぐ届く歌を詠みたい/『短歌の作り方、教えてください』を読んで

何度かnoteで触れたOBOG会。


今年は短歌で合評に参加したが、その時に言われたことをずっと考えていた。
一首目、枕経の歌。もっと作者(=私)の感じたことや思ったこと、実感をいれた方がいいとのご助言。
文を書くのが好きと言いながら、なかなか自分の思いを言葉にするというのは苦手なわたし。どうしたもんかと考えて、とりあえず短歌の本を読むことにした。


読んだのは、俵万智、一青窈『短歌の作り方、教えてください』。



読み始め、出会ったのが、まさに悩みにドンピシャリな次の一節。

事実だけを並べても、もちろん短歌はできますし、必ず「思い」を表す言葉がいりわけではないのですが。事実だけが書かれていても、その事実を言葉としてピックアップした「思い」はあるはずなんですね。それが、感じられるといいなあと。 (135ページ)

事実をピックアップした「思い」を感じさせられるように。なるほど、合評で言われたのはこういうことかぁ、と、読んで納得。
あの日虹を読んで感じた、重苦しさから解放されたような気持ちとか、生徒と一緒に茂吉の歌を読んだ教室の感じを思い出した微笑ましさとか、そういうのがもっと伝わる歌を詠めたらよかったんだなぁ。
受け止めきれずに消化不良だった言葉を解きほぐしてもらった気がした。


橘曙覧の「たのしみは」ではじまり「……時」で終わる連作の話も興味深かった。これについて俵万智さんは

楽しみは、楽しみは、と歌を詠めば詠むほど、次の楽しみを探さなくてはなりません。つまりこの形式に挑むことが、どんな小さな楽しみも見逃さないぞという目を、もたらしてくれるわけです。 (210ページ)

と述べている。これも読んでなるほど。
職場の先輩が、「毎日ひとつ、その日しあわせだったことを見つけるようにしている」ということを語っていたけど、似たようなものかな。どんなについてない日でも、そのルールがあったら「どんなにささいなしあわせでも探し出そう」と思うらしい。
こういう短歌の素材の集め方は、人生を豊かにしそう。真似してみたい。


それから、もう1つ参考になったのが、短歌を詠むときのメモについて。忘れっぽいわたしは、あとで推敲しようとした時に、何を歌に込めたかったのかをつかめなくなってしまうことが多い。
そういうときは、一青窈さんが俵万智さんにメールで短歌を送った時のように、その時の思いやエピソードをいっしょに書いておけばいいんだな、ということに気づいた。推敲とか合評のときに、それがひとつの定規になるというか、そのほうがまっすぐ歩いていけるような気がする。


短歌って奥深いなぁ。授業で扱ったのをきっかけに手を伸ばした世界だったけど、思った以上にのめり込んでしまいそう。嬉しいこと。

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