見出し画像

ゴッホ愛より地元愛(after展覧会No.7「ゴッホ展」)

はじめに

先日(1/13)、上野の森美術館で大盛況のうちに終了した「ゴッホ展」です。91日間の会期で45万人を超える人が集まりました。
1月25日(土)からは兵庫県立美術館に巡回されますね(~3/29まで)。どこまで来場者が増えるか楽しみです。

さて

「ゴッホ展」について何を書こうかととても悩んでしまい、パッと思い浮かんだのがゴッホではなく、ポール・ゴーギャンのことでした。
本展では1作品が展示されていました。タイトルは〈水飼い場〉。
小さな川の近くで2頭の牛が休んでいます。そばには飼い主らしい男性が見守っているのどかな絵です。
なぜ、この絵を取り上げたのか。
「わっ、この絵、島根県立美術館の所蔵じゃん。ゴッホ展に島根県代表で参加しているのかぁ」(ある島根県民の心の声)

デッサンについてゴーギャンが教えてくれたことに僕が多くを負っていること、それに彼が自然を愛するその方法を常に高く評価しているのは確かです。僕の意見では、彼は芸術家であること以上に人としてすばらしい。
-1890年2月1日 友人の画家ジョン・ピーター・ラッセルへの手紙より(サン=レミ)
引用文献:公式図録152ページのゴッホの手紙より

ゴッホの手紙

ゴッホ展の図録には、各展示作品の紹介とともにゴッホの手紙からの引用がここかしこに書かれてあります。前述の手紙の一部は、ゴーギャンの〈水飼い場〉のページに書かれていたものです。
ゴッホとゴーギャンがアルルで共同生活をしたのは、1888年の10月~12月です。そして、ゴッホが亡くなるのが1890年7月です。手紙の日付はその5か月前になります。
手紙の前後の内容は分かりませんが、アルルでゴーギャンと仲違いした後にも、ゴッホがゴーギャンのことを人として尊敬しているのがわかる文面を読むとなぜかホッとしました。ゴッホは自分の感情のおもむくままに生きていた印象がありますが、決して自分本位や自己中心的な性格だけではなく、冷静に物事を見る目もあったのだと思います。とても研究熱心であったようだし。

旅する絵画

ゴーギャンの〈水飼い場〉は既に兵庫県に到着しているのでしょうか。
最近は展示作品を観るときに、所蔵先がどこなのか気になります。印象派の画家の作品などはきっと日本のみならず、世界中を旅しているはずです。
何度かテレビで美術作品の運搬の様子を見たことがありますが、世界に1点しかないものですから相当に神経を使うのでしょう。
私は普段、農業を仕事にしていますのでトラクターなどを3tトラックであちらの畑からこちらの畑に運んだりしています。実際、作業中よりもトラックに積み込んだり、積み下ろしたりするときが一番気をつかいます。

おわりに

話が脱線してしまいました。
今日は「ゴッホ展」の記事でした。ゴッホは10年間という短い画業人生でしたが、残された作品は比較的多いのではないでしょうか。2020年度もまだ出会う機会があります。
「画家が見たこども展-ゴッホ、ボナール、ヴュイヤール、ドニ、ヴァロットン」三菱一号館美術館(2/15~6/7)
「ロンドン・ナショナル・ギャラリー展」国立西洋美術館(3/3~6/14)、国立国際美術館(7/7~10/18)
「ゴッホと静物画-伝統から革新へ」SOMPO美術館(10/6~12/27)
まことにいい時代です。
本日も最後までお読みいただき、ありがとうございました。

画像1

お立ち寄りありがとうございます。頂戴したサポートはアート活動を深めるために使わせていただきます。