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奇才の素質って誰にでもあるのかも(before展覧会No.9)

はじめに

江戸時代は265年間続いたとされています。
末尾は諸説ありますが、徳川家康が征夷大将軍に任命されて江戸幕府を開いた1603年から、15代将軍徳川慶喜が大政奉還をした1868年までが広く認識されているかもしれません。
なお、大政奉還の約2か月後に、王政復古の大号令により明治政府の樹立が宣言され、さらにそこから約4か月後に江戸城が開城されます。
さて、現在、令和2年ですが、明治時代から計算してどれくらいの期間となっているでしょうか。
ざっとおよそ152年間です。
265年間ー152年間=113年間。
江戸時代に達するまで、これからまだ113年間もあるのです。

本日のbefore展覧会

奇才ー江戸絵画の冒険者たち」(山口展)
会期:2020年7月7日(火)~8月30日(日)
場所:山口県立美術館
35人の江戸時代に活躍した絵師たちの作品が集まる展覧会。
出品目録がダウンロードできたので、確認してみました。
展示期間が8つに区分され、会期中に作品の展示替えが予定されているものもあります。お目当ての作品がある場合は、いつ見に行くかの日どりが要注意です。
また、出身地か活躍した土地か、「京都」「大坂」「江戸」「諸国」として絵師が地域別に分けられています。
じっと眺めてみると、35人中、知っている人が16人、知らない人が19人です。
鑑賞予定にしている日で展示されている作品数は78作品です。

何の予習のせずに展覧会に行くのもアート鑑賞の醍醐味です。
ただ、現在は美術系のテレビ番組もあり、公式HPの内容も情報満載で充実しています。ある程度は調べて、自分なりのテーマを設けてから見に行くのもひとつの方法です。
そうは言っても「よし、今回はこの画家、この作品に注目してみよう」と意気揚々と美術館に向かったら、およそノーマークにしていた画家や作品がグサっと心にささる、なんてことはよくある話です。
さて、私自身は島根県に住んでいますので、西日本でのアート巡りを大切にしています。そこで今回は、35人の絵師の中より、京都・大坂を除く西日本より代表選出された絵師に注目して作品を見たいと思います。

・浦上玉堂(うらかみぎょくどう 1745~1820)(岡山)
・片山楊谷(かたやまようこく 1760~1801)(鳥取・長崎)
・絵金(えきん 1812~1876)(高知)
・神田等謙(こうだとうけん 生没年不詳)(山口)

日本画をたどる

「芸術新潮」(2019年9月号)の特集は、『応挙にはじまる。「日本画」誕生!』でした。
イントロダクションでは日本絵画と日本画のちがいについて言及されています。少し長くなりますが、掲載内容を引用していきます。

「日本絵画」はとにかく日本で描かれた絵画のすべてをさす。
(本文より引用)

対して、日本画とは、

要するに明治以降に描かれた絵画のうち、日本古来の画材(墨および膠(にかわ)で溶いた顔料、支持体は紙や絹)を用いた作品というのがその定義。ただし、典型的な日本画においてはさらに別の要件がかかわる。それは西洋美術との格闘を内在化した、再現的(具象的)な絵である、ということだ。
日本画の成立は一般に、狩野芳崖(ほうがい)の《悲母観音》をメルクマールとする。それは芳崖と、まさに西洋人であるアーネスト・フェノロサとの二人三脚により、自覚的に作りだされた新時代の日本絵画の規範であり、作品の完成とほぼ同時に東京美術学校(現・東京藝術大学美術学部)が開設された点でも象徴的な意味を持つ。芳崖は病没して同校で教鞭をとることはなかったが、盟友・橋本雅邦(がほう)が横山大観(たいかん)・菱田春草(ひしだしゅんそう)らを日本画の牽引者たるべく育てあげた。
(本文より引用)

しかし、この流れとは異なるもう一本の日本画成立のルートがあると提唱されているのが東京藝術大学大学美術館の古田亮准教授である。

「明治40年(1907)に文展(文部省美術展覧会)が発足して、日本画・洋画・彫刻という現在に続く美術の枠組が確立します。大観・春草をはじめとする東京美術学校出身者の作品と、竹内栖鳳(せいほう)・木島櫻谷(このしまおうこく)たち京都の画家の作品が一つの会場に横並びで展示されたわけですが、両者にじつは大きな差はないことが改めてそこではっきりしてしまった」(本文より引用)

なぜ、このような状況になってしまったのか。
その理由としてあげられているのが、江戸時代において京都の画壇の中心的な役割を担っていた円山・四条派の存在であるという。

「円山応挙(まるやまおうきょ)の流れを汲むのが円山派、与謝蕪村(よさぶそん)と応挙に学んだ呉春(ごしゅん)の流れを汲むのが四条派です。両派は作風的に親和性が高く、師承関係の融合も進み、幕末以降は円山・四条派とまとめて呼ぶ方がしっくりくるような状況が生まれていました」
(本文より古田教授の引用)

そして見開き2ページを使って、円山・四条派の流れという系譜図が掲載されていてこれがすごく分かりやすい。
90名の絵師の名前が主な師弟関係の連なりで書かれていますが、今回の「奇才展」の出演者と一致しているのは、
・円山応挙
・長澤芦雪(ながさわろせつ)
・与謝蕪村
・蠣崎波響(かきざきはきょう)
の4名だけです。

ここであらためて江戸時代265年間の厚みを思い知らされます。
いわゆる職業画家だけではなく、きちんと武士の仕事をしながら絵を描いていた人や、旅と画業が連動している人など。
そしてこの時代の積み上げが明治・大正・昭和の画家たちへ受け継がれたり、新たな芽が出てきたりしたのですね。
なんだか名前ばかり列挙する記事になってしまいました。

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