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成人式から考える、家族と慣習

大学3年の年に何を感じ、考えていたのか。
自分の手で、書き記しておこうと思います。

第1節 しきたりの呪縛


 私の2023年は、1月9日の成人式から始まった。この日を以て、私達の代も晴れて成人。なんと喜ばしいこと!
 …と、思えるはずだった。しかし、私にとって成人式はこの世で一番避けたい通過儀礼だった。どうしても、行きたくなかった。親しい友人なら、自分で会う機会をつくればいい。なぜ、中学時代の嫌な思い出を自ら進んで蘇らせなければならないのか。なぜ、人を馬鹿にし、嘲笑うことしかできない低脳な奴ら(すみません)と再び顔を合わせなければいけないのか。当日、大好きな友人の顔を見るまで、その不安と憤りは消えなかった。

 そう思うなら成人式は欠席すればいい、と思うだろう。それができないワケがあったのだ。しきたり第一の我が家では、「成人式に行かない」という選択肢は用意されていなかった。成人式に出るのは、当たり前。だから母は、「行きたくない」という言葉自体を初めて聞いたかのように拍子抜けしていた。そして私に対して、「人生で一度きりだから」と説得力に欠ける言葉を浴びせてきた。さらには、「成人の日くらい感謝してくれてもいいんじゃないの?」と爆弾を投下された。
 娘の気持ちより、しきたりか。ああ、また感謝を強要されるのか。そんな絶望を味わいながらも、式には出ることにした。「辛くなったら振り袖でばっくれよう」くらいの気持ちで。

※「また」という親不孝な表現と、私の家族に対する向き合い方については、以下の記事を読めばわかると思われます。ただ、いい気持ちはしないと思うのでご注意を。汗


 式当日は、新型コロナウイルスの関係で新成人のみが参加した。部活の仲間や親しい友人と久しぶりに顔を合わせ、思っていたよりは楽に過ごすことができた。私には数人の友人がいればそれで十分、とつくづく思う。当然、私が懸念していた“奴ら”との再会もあったし、案の定ふざけた絡みを受け、望まないフラッシュバックもあった。しかし、私は当時より強くなっていた。当時のまま時間が止まっている彼らを相手にしている暇は、私にはない。幸いなことに、そう思えるくらいの充実感を高校・大学で得ていたのだ。
 そんなこんなで、無事に成人式を終えた。吐き気がするほど不安に思っていた式前日までの憂慮はなんだったのか。案ずるより産むがやすしということか。

第2節 生きづらさと、生きやすさ

 人生の一大イベント!である成人式(以降、通過儀礼と読もう)を通して思ったこと、それは「当たり前って、なんと恐ろしい感覚だろうか」ということ。なぜ人は、疑問を持たずに伝統やしきたりを鵜呑みにし、自ら拘束されにいくことができるのだろうか。私にとって、成人式への参加を“強要”されたことは、ハッと息継ぎしようとした時に上から沈められたようなものである。
 …万人に伝わる自信がないので、念のため補足する。その際、私個人が式に行きたくない原因を有していることは置いておいてほしい。
 「成人式=必ず通る道。外れることなんて考えもしない自明の道」という幻想への盲従に疑問を抱き、微力ながら声を上げてみた。しかし、疑問・気づきは結局「だれしも通る道だから」、「そういう慣習だから」、「人生で一度きりだから」という幻想に押し潰されてしまった。まあ、家族という厄介な縁の内に波風を立てないためには仕方なかった。しかし、そうは言っても、どこか息苦しい(その息苦しさにはもちろん、少しでも私の話に耳を傾けてほしかったという邪念も含まれている)。この息苦しさが、伝わっているだろうか。

 目の前の事象に対して「これは幻想だ」と思うことは、ある意味、私を解放してくれている。家族だとなぜ仲良くしなきゃいけないのか?しきたりだとなぜ守らなければならないのか?と疑問に思ったとき、「家族だってしきたりだって、みんなみんな幻想なんだ」と思えば、すんなりとはいかなくても向き合う準備はできる(かもしれない)。
 でもそれは同時に、生きづらさでもある。「なぜ○○なの?」「ただの幻想じゃないのか?」なんてことを思わなければ、変に距離を取らず、ただ純粋に楽しめるのかもしれない。知らぬが仏なのかもしれない。最近、高3の妹に「つまんないこと考えるね」とか「急に学問しないで」とよく言われる。学問できているのか定かではないけど、私は確実に冷めた人間になってきている。でも別にそれがいやなわけではない。だって、自分の人生を楽にする作用も少なからずあるし、何より自分に合っていると思うから。
 以前ゼミの指導教員が紹介して下さった記事に、「問いかけが、人間の人間たるゆえんだ」との記述があった。私はまさに問うことによって葛藤し、自分が生きていることを実感するのである。今は大学3年、まだまだ先は長い。私の、(まだ不安定ではあるが)形成されつつある性質が故に、今後も悩むのだろう。強く生きよう、私。


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