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大3の春、初めての研究Ⅰ

第1節 大失敗!

 2月8日、私たちはグループを結成した。何のかって、それは今年度春学期にゼミで行うグループ研究のだ。ゼミの先輩方もグループ研究をしていた(課せられていた)ので、存在は知っていた。とうとう「その時」が私たちにも来てしまったのだ。
 メンバーは4人。まずはリーダーとグループ名を早急に決めなくてはならない。私たちは、リーダーを(本来ならば避けるべき)あみだくじで決定した。その決定直後の2月19日、リーダーにならなかった私は、LINEで「もちろ全員で協力する!!」と宣言する(後に、それがどれほど無責任に放たれた言葉だったかを自覚することになる)。グループ名は、全員の総意でなんとか決定。ちょっぴりふざけた、でも私たちに最適のグループ名ができた。

 さあ、問題はここから。4人でどのように研究構想を練るのか?だれも教えてはくれない。タイムリミットは、3月22日の第一回研究構想発表(通称:春ゼミ)までだ。とりあえず電話してみたり、各人の個人研究構想を読み合ってみたりしてみる。…だがしかし、方向性がまとまらない。そのため、ある人がアイディアを出すと、きまって「それ面白そう!」「いいね、いいね!」と全肯定ムーブが起こる。“自分は秀でたアイディアを持ち合わせていない”と思い込み(実際持ち合わせていなかったが)、賛成することが精一杯だったのだ。そうして、誰かが出してくれたものに対して反対したり疑問に思ったりすることもなく賛成し、メンバー皆がちょっとずつ提案を重ね、方向性をなんとなく定めていった。このときは、“賛成”がグループでテーマを定める唯一の方法だと信じて疑わなかった。
 今振り返ると、(恐らく)各人にとって研究の優先順位が低かったことも、話し合いが困難を極めた要因の一つであった。「寝落ちしていた」「サークルが…」「寝坊した」はざらだった。もちろん、自分も含めて。私たちは研究の本当の難しさと、時々ほんのわずかに得られる楽しさをまだ知らなかったのだ。とはいえ皆、個人で調べるなど最低限できることはしていた。

 そんなこんなで、なんとか発表レジュメに文字を起こすことはできた。そして迎えた恐怖の春ゼミ(今思えば、「恐怖の」と思っている時点で内容の未熟さ・後ろめたさを自覚しているではないか)。…結果は散々だった。想像していた以上に散々だった。

「問いがまとまっていないのは、皆の関心がまとまっていないから?」
「問いを出すには、既存の研究に触れる必要があるよね」
「アドバイスをもらいやすくするコツは…」
「研究対象としての面白さは、無い」

 など、先生と院生と先輩に文字通りコテンパンにされた。9ヶ月経った今でも、春ゼミのあの緊張感と絶望感を鮮明に覚えている。そのくらい衝撃的で、自分が情けなかった。こうして、私たちの研究は大失敗から始まったのだ。

第2節 挽回の糸口

「動ける人をリーダーにしてはダメ」
「なぜ同調するだけで自分の意見を言わないの?」
「途中で意見を言えないなら、思っていること先に全部言い切れば?」

 私たちの研究発表を聞いてもらうには勿体ないほどの錚錚たる面子にコテンパンにされたものの、一体どうすれば良いというのか。次にどう動けば、この悪夢は醒めるのか。それが分からないまま再び研究に取りかかるのは、怖かった。だから呑み会に参加して、あの場で言えなかった本音を言ってもらおう!なにかヒントを得よう!と考えた。
 案の定、呑み会でもまたコテンパンにされた。先の言葉は、院生方がそのときに言ってくださった言葉の一部。ド正論で何も言い返すことができず、グサッグサッ。でもそのおかげで、

 ①自分がリーダーという存在に頼りすぎていたこと
 ②“賛成”は自分の意見を言ったことにはならないこと
 ③研究を進めるための手段であるはずの発表レジュメが、いつの間にか目的になっていたこと

に気づいた。「協力する!!」と言った過去の私に鞭を打ちたい気持ちになった。そして何より「リーダーじゃなくてもグループを引っ張っていいのか!」とハッとさせられたことは、私の研究への向き合い方が変わるターニングポイントとなった。
 一回どん底に落ちたから、もう怖いものは無い。“主体性”ってありきたりで使いたくないけれど、私(たち?)にはそれが欠けていたのだ。こうした学びを得て以来、私は研究をシャカリキ頑張るようになった。これまた文字通り、シャカリキにねっ。

第3節 不純な動機と底知れぬエネルギー

 とはいえ、まだまだ私たちの頭を悩ませる研究構想。前回発表したテーマに縛られ過ぎて、話をうまく展開させられない。そんなあるとき、研究テーマを根こそぎ変える方向に話が進んだ。各々気になる話題を調べつつ、また他の学生からアイディアをもらいつつ、全く新しいテーマ候補をいくつか挙げることになった。…そこから一つに絞るまでがまた大変だったのだ。
 紆余曲折あって、休日の院生を大学に呼び出す(正確には、ご厚意で来てくださった)ことになってしまった!でもその会のおかげで、私たちの停滞した議論が円滑に進み、無事みんなが納得のいくテーマに決定した。そしてすぐに、既往研究調査が始まった。
※文献探しを始めたはいいものの、その日の夜に「文献の判断の仕方が分からない汗」とホザいて2度目の助け乞いをしたことは、反省と感謝の意を込めてここに残しておこう。

 20年生きてきてほとんど本に触れてこなかった私も、さすがに文献を読まざるを得ない時がきた。土曜に大学の図書館に行き、縦書きは苦痛だと思いながら文献を読み漁る。難しい本や先輩の論文も読んで、どう私たちの研究に生かせるか考えてみた。本当に私なのか?と自分で自分が信じられなかった。
 活字嫌いの私がなぜそんなに文献調査を頑張れるようになっちゃったのか。それには、“研究を頑張りたい”という持つべき優秀な理由よりももっとはっきりした理由があった。「学部生のほとんどは、紹介しても読んでこないよ」という趣旨の一言を聞いたからだ!他の大多数の“読まない”学部生と同じになりたくなかった。なんだか純粋ではないような気がする。でも結果的に、文献調査がそれほど苦にならずに済んだし、それが研究への熱に自ずとつながった。今では、小説は読む気が起きないけれど学術的な本は進んで手に取れるようになった(なお、読むのはカタツムリ並に遅い)。

 こうして、大失敗から始まった初めての研究が熱を帯びていくのである。このあと私たちは、寝る間も惜しんで研究に明け暮れることになる。初めての研究は、4ヶ月もの間、私たちの生活の中心に居座った。「実態とはなんぞや」と思いながら調べ、各サイトで得た情報を年表にまとめ、文献を用いて概念や昨今なされている議論を理解しようと努めた。またある時は、なぜか駅前にいたウサギの飼い主にインタビューしてみることもあった。ゼミは毎週月曜5限であるため、大抵は日曜の夜からZOOMを繋いでそのまま3限まで作業を続け、4限で(他の授業を受けながら)レジュメをバタバタと作り終え、5限で発表していた。こ、こんな生活、よくできたな…。
 っとまあこのように、私たちは頑張りすぎた。でもそれは“もっと手を抜けば良かった”という意味ではない。夢中になれるものができたのも嬉しかったし、頑張って良かった。2023年上半期で最も辛く、最も印象的で、最も楽しかったのは間違いなく研究だ。
 「序」部分だけにしようと思っていたのに、書きすぎた。もう朝5:30。ここまでいったなら最後まで書きたいところだが、研究発表した学会とその直前についてのエピソードトークは、後章で述べることにする。にしても、2023年は本当に濃かったなあ。

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