もう、そこまで来てる

「あー、なんだっけ。
あれ、あれあれ。あれよ、あれあれ。
あー、出そう。出る出る。もう出る。
もう、そこまで来てる。
ほら、あれあれ。あれだってば」

 
 

出せ。早く出せ。疾く出せ。

どれだ。どれなんだ。

私の顔に、死に切った表情が浮かんでいるのは言うまでもない。
 
 
 

「あ、浮かんでたけど、過ぎ去ったな」

 

お前も吹き飛ばしてやろうか。
皆の記憶から過ぎ去れ。
 
 

「ほら、あれだってば。
あれだってばよ」

 

私の手に、螺旋丸が唸る。
祈る時間をくれてやる。

「もう、ここまで出てる」
(頭上に手の平を翳しながら)

 
今さら、それでは笑えん。
歯を食いしばるといい。

 
 
 
世界の覇権を握る程の、無駄な時間トップランカーである。

校長先生の誰も関心のない話や、友人が昨日見た夢を語るターンなどがなければ、無駄な時間ランキング独走もあったろう。

そのランキング保持者の数だけ、この世で尊い時間が浪費されてると思うと、涙が止まらない。

人それぞれに、平等に同じ時間が与えられているというのに、ランカー遭遇率によって、個人の時間は食い漁られる。

ええいやあ、君からもらい泣き。である。
 
 

書いてみたものの、一青窈の"もらい泣き"は、「ええいやあ」でいいのだろうか。

まあ、良いだろう。誰も気にはしないし、ここにおいてその正誤は深い意味を持たない。

ここにまた、無駄な時間が流れたという訳だ。涙を拭うがいい。

 
 
しかし、無駄な時間ランキングにおいて、前述のやり取りは上位に君臨していると私は愚考する。

下記に理由を示すが、それを無駄な時間と捉える方は、読むことを辞退してもらっても構わない。

私も、まさか自分が書いた駄文がランキング入りしては、先祖に顔向けできないからである。
 
 
 
 
 
 
 
 

 
これが他の無駄な時間と一線を画すのは、やり取りを行う相手によって、無駄に無意味な個性が出るという点にある。
 
 

校長先生の虚しく空振る話を例に取ろう。

寒い駄洒落を入れるにしろ、聞いてもない身の上話を混ぜるにしろ、悲しいかな、生徒は誰も聞いていない。

つまり、そこに校長先生の個性は関係ない。
等しく、そこには校長という肩書きを持つ誰かがいるだけで、もはや、それは誰でもいい。
受け取る側は、とにかく関心がない。
当事者意識が皆無なのだ。

  
 
 
 
しかし、これはどうだろう。

対面で話しているため、どうしても当事者を回避することができない。
しかも、当初の話の流れがあり、それに沿っているため、途中で投げ出すことも躊躇われるという搦め手まで仕掛けてくる。

 
 
さて、ここで目の前の相手の滑稽の極みを刮目するがよい。

頭を抱え、思い出そうとするも、その頭を振り乱す行動に意味などなく、駄々をこねるようにウネウネする軟体動物。

もうここまで来てるとか訳の分からないことをヒステリックにも叫びながら、腕を振り回す知性の欠如した獣。

その哀れみさえ浮かぶ暴れ方に、それぞれの半生が巡る。

その涙を禁じ得ない滑稽さに、それぞれの信念が駆ける。

話を続けることに諦めを持つ人も居るだろう。

それはそれで、非常にこちらとしては、しこりが残る。
三日三晩、悪夢に見る程である。

後を引くこの粘着さ、そして何よりの、それぞれの無駄に無意味な個性が醸し出す阿呆の色。
これがトップランカーたる所以である。
 
  
 
 
 
 
 
 
コイツの無駄を極めに極めた強さには、まだ他にも秘訣がある。

強者とは、全てを兼ね備え、死角を徹底的に潰したその先の座標に位置するもののことを言う。

それに準えよう。

これはまさに強者の看板を背負うに足る人物である。

 

 
 
何故なら、この無駄な時間、避けようがない。
どんなスピードを持つ人物でさえ、コイツの手から逃れる術はないのである。
 
 
どういうことか。

それ即ち、これは会話の中に神出鬼没に突如として登場するため、こちらとしては青天の霹靂の無駄な時間となる。

 
 
 
 
再び、校長先生の話を手に取ろう。

校長先生の話はスケジュールとして事前に組まれたものであり、それは祭典などの催し物の際にしか顔を出すことはない。 
 
しかし、こちらはどうだろう。

日常に常として紡がれる他愛のない話に、常にこいつらの影がある。蠢いている。

そしてそれは瞬間的に呼吸を始めるので、予測は不可能。更には、誰もが発症する可能性を秘めている。

恒常性四面楚歌。
突発性負け戦。

我々には、降りかかる火の粉を振り払う腕すら上げる暇はない。

達人ですら、構えをとることはできない。

 
 
 
 
 
 
世界よ、これが、強さだ。
 

この強さが世界共通であることに疑問はない。

故に、今こうしている間にも世界の何処かで、時間の浪費に嘆く声が止むことはないのだ。

コイツは、グローバルヘビーパンチャー。

グローバルの使い方が合っているのかは分からないが、グローバルの意味を正確に、余すことなく知っている方はこの世に多くないと信じている。

もし、指摘を受けるようなことがあれば、こう唱えればいい。
 
 
 

「いや、グローバルじゃなくて、あれあれ、あの言葉。
   なんだっけ、あれあれ。
もう、そこまで来てる」

 
 
 
相手は、裸足で逃げ出すだろうさ。

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