おみくじ許すまじ

2023年。
新年を今年も迎えることが出来た。ありがたい限りである。

一年、再び日常の繰り返しに浸る。
しかし一方で、何事もなく「いつも」を咀嚼し続けることが出来るということは、最上の幸せであることに疑いの余地はない。

幸せとは、思い出の数ではなく、思い出を振り返る毎日にこそあるのだ。

何となくそれっぽいことを言えた気がするので、ここで筆を置くべきという悪魔と天使のまさかの共同声明が胸中に響く。

しかし。

それだと、表題が報われぬ。
呼び出された挙句、集合場所には人の影なく。
涙を禁じ得ぬ侘しい風を、彼の頬に通すわけにはいかないのだ。

幸せは、みんなでこそ。
猫も杓子も置いていくつもりはない。
さぁ、ついてこい!

さて、道化の戯言もそれまでに。
だが、この場で語られるべき本題も戯言に過ぎない。

何故か。
それは冒頭まで遡るが、現在、カレンダーは2月25日を示している。
新年に諸手を挙げて喜ぶには、些か時期が遅い。

ここまでの遅刻となると、むしろ余裕さえ与える泰然自若とした構えをお見せ出来ているように思う。
苛烈に流れ来る連絡など、どこ吹く風。
草原に横たわるが如くの心中。受けるべきは天誅。
人に迷惑をかけて無罪放免と落ち着くほど、私の人権の効力は大きくない。
しかし、どうしようもない。
人事を尽くすほどの器量もなく、ただ天命を意味もなくTwitterを開きながら待つ阿呆である。

しかし、何事にも理由は同居する。
水が100度で沸騰するのにも、何やかんやで気圧がどうちゃらでそうなっているのだ。

そのため、一旦は刀を鞘にお納めいただき、現在進行形でお目汚しの駄文に付き合ってもらいたい。

私は、新年早々、流行病に倒れた。
新年早々とは、早々の名に恥じぬ速度、つまりは1月1日に到着したのである。
その際、流行病にこうして出会えるなんて、私はまだみんなの輪の中に居てもいいんだ、というある種狂気じみた喜びが支配したことはここに記しておくべきだろう。

運が悪い。
そのような言葉を掛けられたりもしたが、四文字でこの胸中を端的に表現できるほど、軽い不運ではないやい、と面倒な感想を抱いたのは、全てが高熱の故である。
決して、普段から七面倒な人格で覆われていないということも、やはりここに記しておくべきだろう。

私は、三社参りを毎年慣行している。
2023年も例に漏れず、その計画だったのだが、幻と消えたのだ。

おみくじ。
そこでは必ず実行していたイベントである。

強烈にその結果や文言を信奉しているわけではなく、また、その記憶も2ヶ月と持ち堪えることができないストレージ容量を誇るマイブレインではあるが、楽しみの一つであったことは間違いない。

それをお正月に体験できなかったのだ。

何故。
よりによって1月1日に病なぞにノックアウトを喫してしまったのかという後悔というより、「なんで?」という駄々っ子の連続パンチを放った私は、最適な時期は過去になったが、いつかリベンジを、という炎を絶やさなかったのである。

それが、とうとう。
この前、遂に叶ったという運びである。

では、「許すまじ」とはどういうことだと疑問を抱く方もいらっしゃるだろう。
いや、いらっしゃるだろうか。
いてくれたらいいな。
いてください。
風邪とか引いた時って、何か、寂しくなるよね。

私は、新年早々に流行病をかました人物である。
それ故に、今年の運気は悪いだろうという見方があるのは十二分に理解できる。

しかし一方で、新年早々高熱にうなされたのだから、もうその後に残るのは幸せハッピー超絶楽しいライフだという見方もあり得るではないか。

私は、後者に今年の運勢をベットした。
せめて、文面だけでも勇気付けてくれよというある種の懇願が入り混じっていたことは否定できないが、これが人間の性。
禍福は糾える縄の如し。
不幸に塗れても、幸福が洗い流してくれることを祈ったのだ。

意気揚々と。

おみくじを引く。

結果を見る。

目を擦る。

結果を見る。

目を擦る。

走り出す。

先生の次回作にご期待ください。

眼前に飛び込んできたのは「凶」の文字。

まずは冷静に、漢字のタイプミスを疑うべきである。

「京」。

京都に上洛を果たせるほどの大躍進を遂げる、ということだろう。

「驚」。

誰もが腰を抜かすような成功を納める、ということだろう。

「香」。

めっちゃいい香りがする、ということだろう。

「羌」。

変換に出てきたけど、どういう意味だろう。

その際の文面はというと、以下の通りである。

願望、叶いにくいでしょう。
病気、安心出来ないでしょう。
失物、出にくいでしょう。
待ち人、現れないでしょう。
新築・引越し、さけましょう。
結婚・旅行・付き合い、万事悪いでしょう。

散々な結果である。
もう家から一歩も出るなという気迫から、万事悪いという隙のない構え。
おみくじに付随していた詩には、庭先に雷が落ちるとも。
もはや百鬼夜行が目の前を横切ろうとも、驚くまい。

逆に清々しい気分である。
ここまで否定を並べられると、もう自分が何か超越した存在であるように思えてならない。

特級呪物か。はたまた、G級のモンスターか。
どちらにせよ、尋常にはあり得ない、枠外の存在であろう。

流行病でみんなの仲間入りを果たしたと思ったら、唐突の脱退命令。
居場所は枠内ではなく、埒外。
深淵を覗いていたと思ったら、ところがどっこい、私が深淵。

凶の運勢でこんなにいいことがあったのなら、大吉だと世界を獲れるのではないか。
と、自分を鼓舞することに今年は専念したい。

どうか、皆様方に、良き一年が訪れますように。

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