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【掌編小説】1/18秒以下の恋情

 生物学者・哲学者のヤーコプ・フォン・ユクスキュル氏[1864-1944]いわく、人間にとっての「瞬間」とは1/18秒(約0.056秒)だという。人間はそれ以下の時間を認識できない。それ以下の時間は無かったことにされる。
 彼はそれを映画の映写機を例に懇切丁寧に説明してくれる。古い映画館を想像してみてほしい。そこで使われる古い、しかし当時は最新技術を駆使して作られた映写機は1秒に24コマを映し出す。僕たちはその1秒を「動いている」と感じるものの、本当のところは動いていない。動いているように見えるだけだ。繰り返される映写と暗転のサイクルに僕たちは気付かない。なめらかに躍動する光彩の前後にある暗闇に気付かない。
 ユクスキュル先生は、視覚以外にもこの1/18秒は適用されると言っている。例えば、耳は1秒間に18回以上の空気振動を聞き分けられないらしい。その音は単一の音として受け取られる。触覚も同じで、1秒に18回以上皮膚をつついても、それは押しつけられたと思われるらしい。「最小の時間の器」——器から零れ落ちたそれ以下の時間たちはいったいどこへ行ったのか?
 それでは、感情はどうなるのだろうか。
 感情と言っても多種多様だ。憎しみ、怒り、哀しみ、喜び、愛……僕たちは人に感情を向ける。その向けた感情というものは、どれだけ時間が長くとも、対象の人間に悟られなければ、その感情は対象者にとっては無かったこととされる。ただ感情の所有者の中にだけ有るだけだ。そういう意味では、感知されぬ感情は人畜無害な代物だといえる。逆に短くとも感知された感情というのは厄介極まりない。それを感知した人間にとっては、その感情がその感情の所有者のすべてだ。第一印象が大事、なんて世の中の人々が嘯いているが、感知されること、1/18秒を超える感情の発露は他人に自分の存在を好き勝手に想像されるのと同義なのだ。
 だから僕は、他人に好き勝手想像されないよう、自分の本当の感情は1/18秒以下に抑え込めてきた。
 抑え込めると言っても、そんなの自分の意思でどうにかできる問題ではない。もう極力、表に出ないようにひた隠す。そして僕は、誰にも感知されない時間と場所で、自分にその感情が定着しないように1/18秒以下の感情の発露を行う。
 刹那という言葉がある。仏教用語でそれは約0.013秒を表すという。0.013秒なら、僕の心にも残らず、他人にも感知されることはないだろう。僕は安心して、その刹那、好きだという感情を吐き出しては素知らぬ顔で元の生活に戻った。

 或る友人が一人のクラスメイトに絶賛片思い中だと話があがったのは、もうかれこれ5年前、小学五年生の時分に、他の友人たちと一緒になって囲みを作り、恋愛談議に花を咲かせていた時のことだった。
 往々にして、そういう場では皆一定以上人気のある女子の名前を挙げて、自分の本心は心の中に留めておくか、まだ10歳の幼さゆえに好きという感情がわからず、適当な名前を挙げてその場をやり過ごすのが定番だった。なぜ他人に自分の想い人を開示しなければならないのか幼いながらに疑問だったが、それはあの場にいる人間だけが秘密を保有するという連帯意識、仲間を集めて一致団結しようとする古くから伝わる人間の社会的特性の賜物だったのではないかと、後に感慨深く思った。
 さぁ皆さん一緒に一致団結するために自分の想い人を教え合いましょう、なんて子供は言わない。だから、真の目的も知らずに馬鹿正直に本当に想い人を、しかも大真面目に他人に言ってしまう人間がいる。それが件の友人だった。
 彼のこの五年間は、その彼女に彩られていた。彼女と彼は違うクラスだったが、彼は足繫く彼女のいる教室に意味もなく入り、男女分け隔てなく談笑しては、彼女との接点を自然に作り出していた。移動教室のクラスの人々が入れ替わる合間、ふと友人を見やると例の彼女となにか話していた。内容はわからなくとも彼の表情や声色でその感情はひしひしと伝わってくる。彼は本当に彼女が好きなのだ。その好意がどこを源泉にしているとか、その理由や因果関係にかかわらず、彼女が好きなのだ。その恋情は果てしなく、どこまでも眩しく僕の心に焼き付いた。

 ユクスキュル御大いわく、虫や他の動物、そして人間では認識される世界が違う、平たく言えば違う世界に生きているという。そしてそれは人間同士でも当てはまるらしい。彼はそれを「観世界(Umwelt)」と提唱した。
 僕は御大の意見に賛成である。何故なら彼女と僕とでは生きている世界が違うのだ。彼女は眩しい。僕のような人間がおいそれと話しかけることは許されていないように思われる。
 そして何故か、件の友人も彼女の隣にいると眩しく映る。太古に語られたアダムとイブを思わせる約束された一対の男女がそこにいるかのごとく、彼らが二人になると周りに真空が現れる。誰も二人の間に入っていけないのだ。
 聖書に従えば、アダムとイブは仲良く二人で神様の怒りを買い、楽園を追放される。楽園とは、そこに住まえばいずれ追放されることを宿命づけられた箱庭なのだと思う。時を経て五年後の今、僕たちにも中学という名の箱庭から追放される季節が訪れた。
 さて二人は聖書のように、二人仲良くこの箱庭を卒業するのだろうと僕は思っていた。しかし聖書とは所詮フィクションなのだ。そして現実はフィクションという夢を打ち砕くためにすべての人間に用意された地獄だった。
 友人の一世一代の決意の大告白は玉砕に終わった。ある日、友人が憂鬱な表情を浮かべており、問い詰めたところ彼は短く「振られた」と口にした。蝉の音が間断なく響き渡る夏の校舎裏で、彼は彼女を呼びよせてその想いを打ち明けた。きっと彼女からしてみれば、もう校舎裏に呼び出された時点で彼の気持ちに気付いていたことだろう。この五年間の蓄積、果ての無い淡くも力強い感情に打たれ続けた彼女にとって、告白という現象は必然だった。彼の見ている世界を彼女は悠々と認識できただろう。そして認識可能な彼の世界を彼女は拒んだ。彼の憂鬱は想像に難くない。彼がこの五年間で作り上げてきた認識の世界、彼にとっての観世界はそこで一つの幕引きとなった。夕焼けの光差す教室で憂鬱に佇む彼の影が揺れる。その影はまるで泣いているようだった。

 晴れて僕たちは中学を卒業して、高校という新しい箱庭へと旅立つことになった。僕と例の彼女は学区内の比較的近い高校に、件の友人は遠く離れた学校へと行くことが決まっていた。楽園を追放されたアダムとイブは異なる新たな楽園へと旅立っていった。
 奇しくも僕と彼女は同じ高校に入学した。それがぼくにとって良いことなのか悪いことなのかはわからない。ただ、僕は中学の時と同様に、また自分の恋情を1/18秒以下に抑え込まなければならなくなった。
 年々苦しくなるこの感情の抑圧が歪んだ形で、彼女に不可解な印象を与えていたことに気付いたのは、入学式の日に同じ中学出身の者たちで集まって食事をした時だった。学生の身分でも気軽に入店できるファミリーレストランで彼女は僕の隣の席に座った。僕はどぎまぎしながらも平静を装い、彼女との、おそらく今までにない近い距離で会話をした。
「そういえばまた一緒にクラスになったね。気付いた?」
「あ、確かにそうだ。中学の時もずっと同じクラスだったもんな」
「ほんと奇遇だよね。」
「うん、まぁ」
「私のことなんか嫌ってる?」
「いやそんなことないよ。なんで?」
「同じクラスにいてもほとんど喋らないし、避けられてるような感じがしたんだよね」
「そんなことないよ。全然」
 彼女の認識の世界では僕は彼女を嫌っているらしかった。確かに僕は彼女に、彼女に感知されうる感情を向けたことがない。人間の感知できる最小の時間以下でしか僕は彼女へ想いを馳せたことが無かった。それが無関心という、嫌悪を超えた悪感情として伝わっていたことは、僕にとっては予想外としか言いようがなかった。
 まだ夕暮れ時でもなく、僕たちは時間を持て余していた。用事のある者たちが帰路につき、それ以外の少人数で映画館へ向かうことになった。その中には彼女もいた。
 僕たちはチープなラブロマンスを見るために席に着いた。またしても彼女は隣。上映中に画面から溢れる光彩に当てられた彼女の横顔を盗み見ると、その美しさに僕は映画への興味を失った。そして僕は、自分の認識の世界が変革されていくことを実感した。近くにいる彼女は変革しつつある僕の観世界と同じ様相を呈しているのでないかと、淡い期待が胸を強く締め付ける。
 彼女の手が僕の手に触れた。それはほんの些細な、咄嗟の不注意によって起きた事象ではあったけれど、その刹那、自分の本心が奥深くから引き摺り出されるような衝動に襲われた。顔が熱かった。心臓の音が彼女に伝っているのではないかと不安に思った。1/18秒という閾値を超えて、僕の恋情が彼女に感知されてしまうことを恐れた。
 彼女と目が合った。それは一瞬のことではあったけれど、僕にとっては永遠のようにも感じた。おそらく僕はもう、恋情を1/18秒以下に抑え込めていなかったであろう。僕の視線と彼女の視線が交差したその瞬間、1/18秒を超えたあの永遠の中で、彼女は僕の想いに気が付いてしまったことだろう。
 もう僕の瞳はスクリーンの映像を映し出していなかった。代わりに未来が僕の瞳に映し出された。未来のシミュレーションの中で僕は、あの友人のように、あの蝉の音が間断なく響き渡る夏の校舎裏で、彼女を呼びだしてこの想いを打ち明けるだろう。そして振られる。それは彼の過去であり、僕の未来であり、一つの宿命だった。
 僕たちの目の前で流れる映像は既にデジタル移行されたもので、暗転が無い。間断なく流れるその映像を見ながら僕は件の友人に想いを馳せた。
 彼の五年間という長い月日が彼の世界を形成していたが、いずれ彼も彼女を忘れ、彼の世界も書き換わっていくことだろう。そして彼はまた新しい恋をする。それはきっと今流れている安っぽいラブロマンスかもしれない。けれど彼は念願叶って想い人と結ばれるだろう。そして月日が流れ、いつの日か彼は、何の予兆も無く、ふと彼女のことを思い出す。隣には今の想い人がいる。彼は不意に顔を出したその恋情を1/18秒以下に留め、誰にも悟られぬよう、自分の心にも定着しないようその感情を発露するだろう。そしてまた彼の世界は続いていく。もう交わることのない、交わることのなかった彼と彼女の世界を想いながら。

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