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おうちに帰りたい@町医者エッセイ

「痛み止め増やして、先生。でもね、眠くはなりたくないの。家族ともっと話したいから」
 
痛みに耐えながら初江さんは懇願されました。
末期胃がんを患う40代半ばの初江さんは、日々襲う耐え難い痛みと闘っていました。モルヒネを使っていましたが、痛みは日増しに悪くなる一方で、その量も日々増え続けました。モルヒネを増やすと痛みは軽くなるのですが、引き換えに眠気が強くなりました。痛みを取って欲しいけど眠気も困る。痛みと眠気、初江さんにとってジレンマな二重苦でした。
二重苦に立ち向かうため、眠気にリタリンというお薬を使いました。リタリンは精神刺激薬で、当時は医師であれば誰でも処方できましたが、数年前から許可制となり容易に使えなくなりました。結局、私がこれまでリタリンを使ったのは初江さんのみです。
モルヒネとリタリンで二重苦は幾分改善しました。しかし、病魔は確実に進み、間違いなく最期が近づいていました。それを悟ってか否か、あるとき初江さんがこぼしました。
 
「先生、おうちに帰りたい」
 
まだ40代、お子さまもまだ未成年で、初江さんにはご家族の力が必要だったのだろうと思います。最後は自宅に戻って、大好きなご家族とともにありたいと願われたのです。
 
心の奥底から希望を叶えたいと思いました。しかし当時の私は研修医であり、その希望を叶える力はありませんでした。すぐに先輩医師に相談しました。今から20年近く前の話です。訪問診療の仕組みも整っていませんでしたので、末期がんの方の自宅退院は不可能に近かったのです。
無力な私は先輩医師の調整に頼るほかありませんでした。私にできることはお薬を調整し苦痛を和らげること、「もう少しで帰れますよ」と激励し続けることくらいでした。
自宅退院の調整が難航する中、末期胃がんの勢いはさらに増しました。初江さんは日増しに弱くなりました。もはやベッドから立ち上がることも難しくなったある時、先輩医師がついに見つけてくれました。末期がんの初江さんを、自宅退院後に訪問診療をしてくださる医師を。やったー、これでおうちに帰られる!私は自分ごとのように嬉しくなりましたし、初江さんもきっとそうだったろうと思います。
しかし、結局、間に合いませんでした。最終調整の最中、おうちに帰ることなく病院で最期を迎えられました。
 
あれから25年ほど。「今、帰りたい」と願う患者さんがいれば、「じゃあ、今、すぐ帰ろう」と断言できるチームを私は創りました。どんなに病気が重かろうと、たとえ深夜であろうと、おうちに帰ることを願う患者さんがいれば、次の瞬間、自宅で迎え入れ、ケアできるチームです。
 
痛みを我慢してでも意識がはっきりしていることを選び、家族と語り合うことを選ばれた初江さん。おうちに帰ることが最後の願いでした。残念ながら、私は叶えて差し上げることができませんでした。初江さんと果たせなかった約束を、今では、すべての願う方に果たせています。時計の針を戻すことができないので、一人ひとりの患者さんから学ばせていただいたことを次の患者さんに活かしていくことでしか、私は、亡くなった患者さんに報いることができません。
未熟だった私のせいで願いが叶うことがなかった初江さん、幾ばくか成長した私を許してくださるでしょうか。初江さん、あのときはごめんなさい。しっかり頑張ります。

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