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患者と医師、すれ違いの日々。

「お前、医者だから分かるだろ」


かれこれ15年くらい前の話です。
大学病院の外来診察室で、ぼくを前に、男性患者さんがおっしゃった言葉です。

男性は診察室に入るやいなや椅子に深く腰掛け(いわゆるふんぞり返って)、開口一番、「喉が痛い」とのみ訴えられました。
「その他は?」のごとく、詳しくお話を伺いたい旨を伝えました。

すると、前述の言葉です。
しかも、明らかに私を睨みつけて。

男性は、結局ほとんど語ってくださいませんでした。
この外来がどのような顛末になったか、予想できる方は少なくないと思います。
互いに多くを話さず、いわば機械的に事が進み、お薬を出して終わりました。

私の態度の何かが男性の気に障ったのかもしれません。真相は謎です。

ぼくは、多少怖かったというのもありますが、むしろ無力感が強かったことだけは覚えています。
医師としてのうぬぼれかもしれないのですが、ぼくは少しでも患者さんの苦悩を治したいと思っていましたし(もちろん今も)、何より患者さんに興味がありました。

だから、たくさんお話をしたかっただけなのです。

さて、患者さんと医師の関係性。
どことなく殺伐とした時代、と思うのは私だけでしょうか。

医師は、患者さんからの訴訟に備えることが増えているらしいです。
医師を含めた医療者が、影で特定の患者さんをモンスターペイシェントとレッテルを貼る場面に遭遇したことが少なくありません。

翻って、患者さんはいかがでしょう。
医者を影でヤブ医者と呼んだり、かかりつけ医を浮気してみたり、ありませんか。(浮気というのは、かかりつけ医にナイショで別の医療機関にかかったり、かかりつけ医の悪口を言ったり、など)

いつ頃から、患者さんと医師はこれほどにすれ違うことになったのでしょうか。
患者さんと医師の間にかかっていた橋は、いつしか流され無くなってしまったのでしょうか。
そもそも橋だったのでしょうか、陸続きではなくて。

日本では、患者さんは受診する医師や医療機関を自由に選ぶことができます。
一方で、医師は患者さんを選べません。
応召義務というものがあり、基本的に患者さんを断ることができないからです。

自由に選べる患者さんと、選べない医師。
誤解を恐れず申せば、不平等な感じもしないわけでもありません。

ただし、医療にはもう一つ大きな不平等があります。
それは情報量。
医療において知識豊富な医師と、知識不足の患者さん。
情報の圧倒的な不均衡があります。
だから、診察室においては、どうしても医師が大きな力を持ちがちです。
そこで、患者さんが医師を前に構えてしまうことは仕方がありません。

ただ、医師も、医師という専門家である前に一人の人間です。
どれほど情報を持っていようが、「お前、医者だから分かるだろ」と睨みつけられたら、医師だってそれは落ち込みます。
 
診察室は、患者さんと医師にとってはまさに一期一会の場。
患者さんは、良くなりたいと願い医師に相談する。
翻って、医師は、患者さんに良くなって欲しいと願う。

医療とは、「良くなりたい患者さん」と「良くしたい医師」の両思いであり、結婚のようなものであり、共同作業のようなものだと思うのです。

医療が共同作業であるならば、患者さんも医者も、お互いもっと信頼しあって、ともに進んだほうがいいと思いませんか。そうすれば、きっと鵲(かささぎ)が飛んできて、すれ違う患者と医師の間に橋をかけてくれるでしょう!

今後、ちょっと連載してみようと思います。
ぼくが、これまで、大好きな患者さんとともに歩んだ物語を。
患者さんと医師の共同作業の魅力をお伝えしたいのです。

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