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家庭での食事が本当に大切なのか?

毎日外食でもいいんじゃないか、と案外長い間考えていました。

とそんなことを言うと、なんて贅沢な、と叱られそうなので言わないようにしていただけであって。


でも、本当のところどうでしょうか。

食事を作るために、スーパーに行って食材買って、自宅で作って、食べたあとは食器洗い。どんなに手際がいい人だって30分では終わらないでしょうし。

仮に1食の原価が100円くらいだとしても、そこにかかる時間(労力)を考えれば、ゆうに千円くらいいきそうなものですが。


家庭の味(おふくろの味?)が大切なのだという声に対しては、なんとなくもっともな感じもしつつも、じゃあ、それは連日、毎日じゃなければいけないということもないような。

例えば、料理下手なワタクシ。ふと思い出したときに、大好きなカレーを創ることがあります。これが実に大プロジェクト的。子どもたちと買い物に行き、あーだこーだいいいながら食材を選び購入。家に帰ってくると、一家総出で分担作業。あんたは玉ねぎ切って、あんたはカレーをという具合に。みんなで味見して、みんなでよそって、みんなで食べて、みんなで感想を。

ここまで来ると、もはやイベントです。これはやはり家庭でないとできないことなので、たまにはこういうのもアリかなと思ったりもします。


一方で、仕事が遅くなって、バタバタとスーパーによって、バタバタと自宅に帰って、20時、21時にササッと食事を作って食べるという家庭料理はどうだろうと思ったりもしていました。仕事でクタクタのところにさらに自宅でもクタクタと。

ぼくは料理は全くだから、我が家ではもっぱら妻の仕事なのですが、こういうときは、じゃあどっかに食べに行こうよというのがぼくの役割だったりします。


男女平等。ぼくはその考えに深く賛同しますが、とはいえ、まだまだ自宅のきっちんは女性が切り盛りしていることが少なくないと思います。ましてひとり親(とくに女性)や働くお母さんの家庭は本当に大変ですよね。


そんなことをうっすらと、でもずっと考えていたところ、友人が、「家事からの解放!」という考えもあるということを教えてくれました。

なるほど、それだと。

そういえば思い出しましたよ。中国出張が多かったとき、中国では朝食から結構外食なんですっって。その時はあさから大変だなぁと思ったりもしましたが、逆にいえば朝から調理も大変だからむしろ外で食べたほうが楽だよなと。


我が家は外食は少なくありません。

もちろん少々お金はかかりますが、前後の労力を考えれば、決して高くはないと信じています。何より妻が楽だろうし、そして外食の場だと、家族の会話もさらに弾みますよね。団欒の場としても悪くないと思うんですよね。いかがでしょうか。


そこで、調理という家事からもっと解放されれば、もしかして、家庭も暮らしももっと豊かになるかもと考えています。


もちろん、調理が趣味的に好きな人、全然苦にならない人などもいらっしゃるでしょううから、解放することが絶対良しというつもりは毛頭ないことは強調しておきます。


というわけで、家事からの解放プロジェクト、水面下で検討中です。


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