うつ、コンサータなどについて(近況)
8月頭にコロナになってから、本当に久しぶりに「鬱」という言葉が頭をよぎるようになったので、記録としてここに近況を残しておこうと思います。
あまり明るい話題ではないので、よかったら少し心に余裕があるときに見てください。
まず、8月に入ってすぐに初めてコロナにかかりました。経路は不明。38〜39度の熱が3日ほど続いたあと、微熱が1週間くらいありました。味覚は問題なかったのですが、嗅覚は発症から2週間程度は消えていました。(匂いを感じとれる範囲がすごく狭くなった感じ)
発症から12〜13日経ってようやく外出ができるようになりましたが、地下鉄の階段を上っただけで息切れしてしまう、帰宅してすぐ倒れるように寝てしまう、など体力の低下がひどかったです。
発症から3週間で、旅行に行けるまでに回復しましたが、これが可能だったのはわたしが普段処方されているADHDの薬「コンサータ」があったからでした。
数年前から定期的にメンタルクリニックでもらっているコンサータですが、最初の頃から徐々に量を減らし、最近では一番小さなサイズ(18mg)でも大丈夫になっていました。
大変ありがたい薬なのですが、飲んでいる間は鼓動が速くなり、思考がすばやく切り替わり、体がすんなり動く……まるで命の前借りをしているような感覚で、少し恐ろしさもあります。聞いた話では、海外でスマートドラッグとして流通しているものと同じような成分だそうです。
わたしがコンサータを処方してもらった理由は、
・不注意
・過集中or注意散漫
・日中の耐えがたい眠気
・朝起きてすぐ活動することの困難
・倦怠感
・時間感覚の欠如
などでしたが、最近はこうした性質との付き合い方も慣れてきて、薬なしでもひょっとするとうまく生活できるかもしれない、と希望を抱いていたところ……
コロナになってから、これらの症状が×1.5くらいの重さで降りかかってきてしまったのです。少量で大丈夫だったコンサータも、外出する日は36mgでないと体を「起動」できないほどになってしまいました。
旅行のときは、仕事や勉強がある日ではないので27mgを飲みましたが、朝8時過ぎに飲んで、10時頃にやっと活動できるようになるといった具合でした。
わたし的にコンサータの嫌な副作用No.1として「食欲の低下」があるのですが、36mgを飲んでしまうと夕方まで何となく気持ち悪くてお腹が空かない、という状態になってしまいます。濃いコーヒーを何杯も飲んでカフェインを摂取したあとや、軽い二日酔いの状態に近いです。(そういえば、この薬をもらう前は朝起きてすぐコーヒーをガブ飲みしていました)
旅行なので、その日は美味しいものを色々食べる予定でした。それで、36mgを避けたということもあります。
ASD・ADHDはときに鬱の症状も併発することが多いと聞きますが、わたしには特にそういったことはありませんでした。思春期の頃にそれはもうひどい鬱になったことがありましたが、あれは今思うと、第二次性徴と自分のセクシャリティのぶつかり合いが原因だったのではと思っています。
ところが、ここ1〜2週間くらい、薄い雨雲のような何かが心を侵食してきているような感じがあります。少しずつ世界の彩度が低くなってきているような……
もうとっくにこの感覚は忘れたと思っていました。
直接的な原因は、わかりません。ただ、何となく思い当たるのは、数ヶ月前に経験した祖父の死と、わたしのメイクに多大なる影響を与えたごしゃいちゃんというYouTuberの死です。
祖父は今でも数日に一回は夢に出てきます。(夢の中でも、いつも楽しそうです。昨晩は祖父が住んでいた家の素晴らしさを自慢されました)
それから、ごしゃいちゃんの動画を見て買ったアイシャドウでメイクするたび、下まぶたに色をのせるたびに、彼女のことを思い出します。彼女の動画を見るまで、下まぶたを塗るという発想なんてまったくありませんでした。
たぶん、ごしゃいちゃん急逝の記事が、ニュースサイトのずっと下の方にいって見えなくなってしまっても、わたしは下まぶたにアイシャドウをのせるとき、必ずあの顔と声を思い浮かべるでしょう。
思い返せば、今お付き合いしている人に猛アピールしたときも、彼女の動画を見て必死に美しくなろうとしていました。
おそらく、わたしは「死」が怖くなってしまったのだと思います。
それも、自分ではなく身近な人の死です。家族や恋人、友だち、飼っている犬が突然いなくなってしまう不安。
でも、普段だったら「死」についてこれほど考え込むこともなかったでしょう。コロナになって、身体的に弱っていたというタイミングもあったかもしれません。
自らの「死」を示唆することは、それ自体が、身近にいる大切な人たちをもっとも深く傷つけるということを、わたしは知っています。(中学生のとき、それを両親や周囲の人に伝えて、どれほどに悲しませたか、もう二度と繰り返したくはない出来事です)
だから、わたしは死にたいと言うことも、自ら死のうとも決して思いません。刹那的に生きたいとも考えません。
ゆえに、この状態を合理的に乗り切る方法を探しています。
「鬱」みたいな何かをよそへ追っ払うためには、身体的なアプローチと精神的なアプローチ、両方が必要です。
まず、素人なりに考えられる身体的な原因については、
・ずっと横になっていたから筋力が落ちた
・シンプルに病み上がり
・自宅療養の期間が長かったため、太陽の光を浴びなさすぎてセロトニンが足りていない
・メンタルを維持するエネルギーが体力の回復に充てられた
・コロナ後から続く頭痛
・室内と屋外の温度差
などが思いつくところです。
これは、適度な運動(一日中外出すると疲れてしまうので、用事ついでに駅まで歩く程度)、家の中でもできるだけ明るい場所で過ごす、というのが大ざっぱな解決策でしょうか。
頭痛は、今はロキソニンで乗り切っていますがそろそろお医者さんに相談します。
温度差は、夏が過ぎるのを待ちます。
次に、精神的な原因について挙げられるのは、
・身近な人の死
・倦怠感などからくる遅刻やケアレスミスの反省しすぎ
・布団から起き上がれない自分への自己嫌悪
・自分を愛してくれる身近な人たちが大好きすぎて、自分はその人たちに同じくらいの愛を返せているだろうか、伝わっているだろうかという不安
これはもう、誰かに話すこと、そして一番重要なのは「味方でいてくれる人をできるだけ増やす」ことだと思います。味方というのは、自分の気持ちや状態を素直に打ち明けられる、信用できる人のことで、そうした人が多ければ多いほど、シンプルに、たくさんの愛や言葉をやり取りできます。
悩んでいる自分が恥ずかしいとか、情けないとか、そういう気持ちは潔く捨て去る方がいいです。(実際、鬱で苦しんでいる人を見て「情けないやつだなあ」と思う人はほとんどいないと思います。いたとしても、そういった人自身がかなり深刻な精神状態である場合が多いです)
わたしは誰かに共感してもらったり、相談に乗ってもらうというよりは、「自分が鬱的な状態であること」を情報としてできるだけ周囲の人に知っていてもらうことが大事だと考えます。そしてできれば、(関係にもよりますが)家族には優先的に知らせておくべきです。
本当に窮地に陥ったとき、友人と家族では、レスキューにかかる物理的な負担が全然ちがいます。医療・役所の手続きや金銭的な面などは、家族でないとどうしても難しい部分があるからです。
色々と書きましたが、あくまでわたし個人の乗り切り方を模索したものなので、多くの人には参考にならないだろうと思います。
でも、結局一番大事なのは、素直に愛を受けとる気持ちである、と考えます。
経験上、鬱の入り口はたいてい、「自分はなんて価値のない人間なんだろう」と思うところから始まりますが、だとしたら、自分を愛してくれる人たちがいるのはなぜでしょうか。
たしかに、自分が無価値であるゆえに愛してくれる人たちを裏切るのではないかと不安に襲われることもあります。
わたしがコンサータを飲み続けるのも、大切な人たちの役に立ちたいと同時に、「ダメな」自分がそうした人たちを裏切ってしまうことを恐れているからです。
ですが、唯一「価値」で測れないものがあるとしたら、それは誰かを愛する気持ちではないでしょうか。愛する気持ちに「価値」を付けるには、未知の部分が多すぎます。
実際、一緒にいて心地いい友人たちは、話しているときのちょっとしたやり取りとか、雰囲気、仕草や口調などが好きだなと思う人ばかりで、その人たちの「職業」だとか「効率のよさ」などは考えたこともありません。つまり、友人がそこにいること自体が嬉しいのです。
コロナ後遺症(?)×ASD・ADHDというとてもいやなコラボレーションを、他にも経験している人がいるのだろうか、というところから書き始めた文章が、盛大に脱線してしまいました。
とりあえず、最近のわたしは外に出なさすぎなので、昔リクガメを飼っていたときに使っていた太陽光ライトでも浴びたい気持ちです。
あとはなんとなく、副作用がきついけれども、コロナ後遺症の倦怠感にはコンサータが多少効くのではないかと思う次第です。(素人所見)
もし同じような症状の方がいたら、ぜひコメントなどでお伝えください。
よろしくお願いします。
PS:友人各位、そして彼女へ
遅刻や、遊んでいる途中で疲れてしまうことが多くなったのに、いつも誘ってくれてありがとう。
本当に感謝しています。
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