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「棚に上げる」を歓迎しよう!

「自分のことは棚に上げていると自覚していますが、言わせてください」

振り返ってみると、ここ最近「自分のことは棚に上げる」という言葉を枕詞レベルで連呼していることに気がついた。

自分自身だってできていないのに、
こんなことを言うのも申し訳ない、後ろめたい。。。

そんな気持ちが、まるで逃げ道をつくるかの様に
「自分のことは棚に上げる」という枕詞になって表れている。

でも、ふと立ち止まってみて想ったのだ。

自分が完璧になるのを待っていたら何も言えないじゃん!

「それ、あなたはできているの?」とか言い始めたら、
誰も何も言えなくなってしまうじゃん!

ありたい姿を語らないことにははじまらない。
そして、ありたい姿を語ることに今の自分の状態はどこまで重要なのか。

大事なことは、
自分のことを棚に上げてもなお、ありたい姿をしっかり語ること。
そして、批評家や評論家ではなく、当事者として語ることだ。

自分のことを棚に上げて、ただの批評や評論に堕ちるのは歓迎できない。
他方で、当事者として語ってくれるのであれば、むしろ、自分のことはどんどん棚に上げてもらって構わない。

「(当事者として語るを前提に)棚に上げるを歓迎する」
そういう文化をつくってみたくなった。

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