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メリハリをつける必要がない


メリハリっていらない

メリハリっていらないと思った。
じゃあどうやって生きていくのかを考える。
その前にメリハリがつけられなくて悩んでいる数ヶ月前の自分を見てみる。

5月あたりの文章

ベースにやらないといけないことを持ってくるというのは、僕の理解では、楽しいことをしないということではない。
でも、今週経験した楽しいことたちの中で僕は何も行動できていない。
これが怖いのだ。
別に動画を見すぎた訳でもない。
制限の中で見れるものをいっぱい見ていっぱい寝た。
今日はやり過ぎだったという日は総じてそんなにないけど、やっぱり振り返ると何も行動していない!
退屈の時間だと思っていたけど、あれは幻想だったのかもしれない。
今思うとやることをやらないといけない時間だったのだ。
こういう意識が飛んでいるのがすごく辛いということだと思う。

行動すれば良いだけの話である。
でも、意識が飛びたくないということでもある。

自分の中に切り替える脳があることもなんとなくわかっている。
今、切り替えてやらないといけないことをやることもできるしこの文章の終わりにはそれをやっていると思う。

鬼滅の刃でいうところの全集中を常中させることなのかなと思ったりもする。

整理すると、やっぱりデジタルデトックス的な制限なしでは、自分の脳はエンタメの世界にある。
そういうエンタメの世界の仕事をした方がいい可能性すらあるが、それでも自己管理をしないといけない訳だから問題はそこじゃないと思う。

整理すると、本来的におそらく自分のリズムは自己管理をしないといけないような人間だということだ。
そして自己管理をしなくていいような仕事につければ最高であるということ。
つまりそれは、楽しいとやらないといけないがある程度一致しているものだと思う。
デジタルデトックスをしないと、またこの状態に気がつけなかった。
なぜ時間がなくなっているのかに気がつけなかった。
だから、これからまた1ヶ月はこの全集中の常中をやってみて、何が変わるかを知らないといけない。
エンタメとやらないといけないことの境目が僕の中にはなくてきつい。
どれくらいエンタメをやっていいのか予測できないからきついのだ。

エンタメ脳であると、ギリギリまでやらないし、クオリティも低くなる。
これは嫌だ。
ニュートラルな脳だと、どのレベルからやり始めればいいか全くわからない。
それがしんどい。
やらないといけないことをベースに置くと、やらないといけないことの間にエンタメを挟めばいいから判断が楽なのだ。

なんだか生きづらい生き方にすごく見えるが、仕方がないのかもしれない。

7/27の俺、文章を振り返る

エンタメを愛する男と、エンタメの中毒性と、社会の要請に悩んでいる様子が記述されている。

僕は今はエンタメは捨てる必要なんて微塵もないと思う。
そして、メリハリという言葉があるけどそういうのをつける必要もないと思う。
メリハリをつけるということは一貫しないということだ。
人は一貫性を重んじる性質の人間だっているはずだ。
だからメリハリがその人にとっていいかどうかはその人による。
しかもメリハリがつけられる人っていうのは、人前で嘘がつける人、割り切れる人なわけだから、社会に向いている。
そりゃ社会に向いている人にメリハリがつけられる人が多いだけで、社会で生きる時にメリハリをつけろよというのが正しいというのは生存者バイアスだ。

社会に向いていない奴ほど、メリハリをつけないで生きる方法を手に入れるために努力したっていい。

僕がここでいうのは、動画的な思考を持ってみようということだ。
動画的な思考というのは動画を見ている時みたいな幼稚な精神性のことであって、人生から逃げたくて、気持ちいい事したくて、気になるものについつい手を伸ばして、でも自分の魂についてはケアをしたい気持ちがあるから動画についてやましいと思ってしまうということだ。

メリハリをつけない

メリハリをつけて成功したことがない。
メリハリをつけられない。
大学受験の時は、メリハリが無理だったから、1年間勉強以外のことをしていない。
大学院受験の時も、卒論の時も、動画作ってた時も、頑張っていた時は勉強以外していない時間が締め切り直前に強制的に作られる。
一方で動画的な部分もあって、特に受験系とか就活系などの長期戦は動画を見ながらやったりとか疲れたら動画を見たりとか、メリハリというよりも、動画にすぐに変えるという感じ。
動画で蓄えたエネルギーを使っている感じ。
メリハリがついているわけではない。
メリハリがついているって、なんかもっと動画を見て満足して、スッキリした状態で次に行く感じ。
全然そんなことなくて、動画の脳の状態を引き継いで勉強をしていたりした。

俺にはメリハリなんてつけれない。

メリハリをつけないためには

メリハリをつけないで生きるために、論理が必要だと思っていた。
メリハリをつけるためにも論理が必要だと思っていたからだ。

でもそれだとあんまり上手くいかない。
論理は実験の後からついてくるものだ。
遺伝子みたいに実験をいっぱいして、進化させて、成功したやつをなんか誇らしげに後付けの論理をつければいい。

最近思っているのは、意識の持って行き方だ。
意識を動画から、ふんわりと移行させる。
ちょっと飽きた感じというのに敏感になるようにしたり、自分の中で魂の形に配慮する。

魂の形に配慮

魂の形に配慮するっていうのは言っちゃえばやりたいことをするってことなんだけど、それよりももっとどうでもいい意味で、自分の自然に向かっていくような方向に自分の体を差し向けていくという感じ。
多少頑張るんだけど自然だからあんまり気にならないという感じ。
そんな感じで自分の魂の形へと向かっていく。
魂と言っているのは心でも脳でもなんでもよくて、なんとなく今回はそう言っただけ。

飽きた感じに敏感に

まず、動画というものでもなんでも、中毒になっているものがあったら、そこに飽きている自分に気づくことがまず第1である。
そこからなんか別のことしよ〜って思えてくると自分を褒めてやりたくなる。
うわっ俺、自分をコントロールできてる!と思える。
これは自分の魂の形に配慮できてる。
何に向かっていくにせよ、自分をコントロールするってのはまず前提にあるからだ。
自然な形でのコントロールを目指していく。
叱りとか、精神論とか、メリハリとかそういう無理をするところにエネルギーを使わない。
自分の形や幸せにエネルギーをつかう。
坂を転げ落ちるように、行動の主導権を握る。
自分の場合は、自分の魂の形に配慮するっていうのがどういうことかというと、自分の心を自由に表現することだと思っている。
イメージで言うと、valorantで、マウスを思った方向に振ると全部ヘッショになるみたいな感じ。
ディスプレイのマウスポインターがものすごいスピードで思った方向に移動していく感じ。
ピンピンピン!って。
だから出したい音を出すし、出したい文章を出すし、出したい絵を描く。
みたいなこと。
人のための動画作りがちょっと違うかもってなったのは、自分の心の向く方向じゃない方向に対して訳のわからん手数の作業を強いられるからだ。
クリエイティブっぽいってだけじゃダメって知った。
もっと心っぽい動きをさせると言うのが僕にとって魂の形で、それに配慮する必要がある。

意識を向けるとスマホが切れるようになる。

飽きてる心を感じ取れたら、意識をなんとなく止める方向に向けて自分の魂の形の方向に心を向けていく。
ただそれだけでなんとなく気持ちいい。
これが態度を変えると言うことだと思う。
態度というのは力があると思ってる。
態度を変えるというのは意識を向ける方向と意識の向け方を変えるということで、行動を変えなくてもなんかやってる気持ちになれるし、徐々に行動自体も変わっていく感じがある。

そうゆうのを繰り返してみると、なんとなくスマホの電源を切れるようになる。
ちょっとずつ切れるようになる。
もちろんすごく非効率的だ。
でも気持ちいい作業だし、スマホを隠したりとかするストレスに比べれば安い。
そもそも人生は効率的に考えたら面白くない。

効率的っておもんない

いろんな面白がり方をすることが人生のいけてる過ごし方だと思う。
例えば、エリートっぽい人が大企業辞めて会社初めて、大成功しました。
とかいってabemaのコメンテーターやってるのを見て、なりたいなんてマジで微塵も思わない。
ホリエモンを見て、ひろゆきを見てなりたいなんて思わない。
なぜなら自分のアンテナに引っかかってないから。
テンションが上がらない。
でも仮に、高卒で土木やって、趣味でピアノを始めて、ピアノ友達に教えてもらったカウボーイの動画に興味持って、英語勉強しないでアメリカ行ってカウボーイになった人とかいたら面白すぎる。
その後カウボーイやめてスーパーで働いてても最高だし、その人の楽しみが酒だって言ってても最高だと思う。
そういうのにテンションが上がる人間なのだ。
効率的なのは面白くない。

ダラダラと意識を切り替える

ダラダラとそれでも意識を切り替えるのが大事だ。
でもその時、無理矢理感のあるメリハリとは違って、なんか一つなぎのゆるっとした切替になっている。

動画を切れるようになると、ラジオ聴きながら電子書籍を購入してみたりできるし、なんか動画を流しながら、英語の学習の準備をしたりするし、ゲームを途中にして耳にゲーム音楽を流しながらピアノの楽譜を探したりできる。

そうすると徐々に道ができてくるのだ。
ダラダラとした変革を体に起こしていくのである。

社会はきちっとすることを求めるけど、徐々に私生活から一貫性のあるダラダラとした意識の持ち上げ方を手に入れるのがいい気がしてる。

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