働かないおっさんが、周囲のクズ評価にどう対処したか

(音声認識したテキストを荒っぽく編集したので、とても冗長な書きぶりですが、時間節約のためなのでご容赦ください。少しでも参考になれば幸いです。)
リクエストに応じて、私が職場で働かないおっさんと見なされてから、どんなにして乗り越えていたかについて振り返ってみます
あくまでも私の個人的思い出でしかありません
簡単に言うと職場で得られる心の安定など生きる上で屁の役にも立たないどころか有害でしかないぐらいに私が認識していたのが大きいと思います
それは私の長い闘病生活から得た結論でした。
一つ一つ 説明します
私は30年以上勤務した地方公務員の勤務して、その中で3割 近くはうつ病で仕事ができませんでした
ただ それは今回の話題の中心ではありません(その病気休業の中ではっきりとしました。職場は病人をすくわないそれどころか 見捨てる。しまいには積極的に叩き出そうとする。これは間違いのない事実です。永遠にわずかでも給料を病人に与え続ける職場はありません
(クビかもしれないという通告を職場から突きつけられて、慌てて職場に行って同僚に相談しましたが、誰一人まともに取り合ってくれません。
向こうは仕事で多忙だし何より仕組み的に私の給料を代わって払ってくれるところやそれを救済するところなどなかったのです。組合が少しは相談に乗ってくれましたが、それはありがたかったが、私は非組合員でしたからね、それ以上はのぞめなかった。
そして私は重大な事に気づきました。というよりも話は戻りますが、公務員っていくら仕事してもしなくても給料変わらないんです。で、彼らが職場に求めるもの仕事以外にあるとしたらそれは、仲間同士の安心感かなんです
それが実はかなりの彼らの職場に求めるものなんです。だって同じ給料で働いても働かなくてももらえる金変わらないなら、あと得られるものって人に褒められるとか、認められるとか、そういった、まあ名前をつけるなら安心感と言うか、気分と言うか、いろいろあるけどまあここでは安心とでも名付けておきましょう。それはまるで通貨なんです。お金に代わる 公務員の通貨 なんです。それが欲しいがために彼らは例えば仲間の多数の意見に従ってみたり先輩同僚の意見を伺ってみたり色々

まあうまく人間関係を渡り歩けば、仕事がうまく進むのに役立つっていうのもたまにはありますが、私はあまり仕事がうまく進むことには関心なかったので、給料さえもらえたら、自分の仕事以外の自分の満足が別にあったので、職場の上では大活躍しなくても認められなくてもよかった。自分の仕事はうまく回ろうが回るまいが、あまり頓着していませんでした。だって仕事に大きな価値をあると思ってませんでしたから。私にとっては金稼ぐ手段でしかなかった

公務員が職場の安心を通貨としてるってところですが、つまり公務員は(民間会社員もかもしれませんけど)心の安定を職場で得ることを、かなりの割合で自分の利益と思ってるわけです。そしてその心の安定が得られなかったら、とても大きな不安になるわけです。これがあなたの求めたいところではないでしょうか?職場の中での安定が得られない、つまり働かない人間として馬鹿にされる心の不安を、それを恐れているのではないでしょうか?
民間の会社の場合は分からないんですが、私のいた職場では馬鹿にされようが褒められようが、首を切られることはまずありませんでした。会社だってそう簡単に労働者、首は切られない所も多い。

バカにされたってもらう給料には変わりないんです。彼らはどんなに褒めそやしてくれようがバカにしようが、自分の給料には何の影響も与えられないんです。そのことをはっきり自覚していました。
どんなに褒めちぎったところで自分の仕事を楽にしてくれるわけではないこと、まあせいぜい自分の仕事が回しやすくしてくれる程度のことですが、私は人に回しやすくしてもらうような大それた企画はやらず、自分一人でコツコツとやるばかりだったから興味はなかったですね。
頑張りすぎて病気になっても、何一つ私を助けられるわけでもない。
そんなわけで職場で得られる安心っていうものが、実にはかない、どうでもいい、自分の生活に意味をなさないものであるかってこと、極めて強く自覚していたってことがまあ、その中でやっていけたことの秘訣 だったかもしれません。
一応アドバイスめいたのはそんなところです。そうは言ったって、この事が身にしみて分かるためには病気でもしなきゃわかんないのかもしれませんが、まあ 少なくとも得られる 安心など幻でしかなく、職場でもらう不安も、いくら不安をもらったところで給料は変わらんってところは、私の場合は間違えないことでした。
続きに私の体験を書くつもりですが、返信遅くなるよりは取り敢えずお届けします。

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