公立小学校の「トンデモ」見聞録(番外編)
(2012年5月25日「松ちゃんの教室」ブログ記事再掲)
最後の「番外編」は、公立小学校に限らずより普遍的な問題について。
年度はじめの全校保護者会で、校長から「学校経営書」なるものが配られた。何のことはない、今年度の教育方針について書かれた資料である。公的機関も企業並みのアカウンタビリティが求められる時代とはいえ、学校も大変だ。
ありがちな文言ではあるが、やはり前半の2つは引っかかる。具体的には「心と体の健康づくりに努め~」とか、「豊かな感性を磨き~」といった解説もあるのでわからなくはないが、とりわけ学校現場で頻繁に用いられる
「あかるい」については、その概念自体が非常にあいまいで、違和感が拭えない。求められる「よい子」像としての「あかるさ」とは何か?
さらに、「児童の実態」について記した以下のような記述を見ると、さもありなんと思う。
果たしてそうだろうか? みんながみんな、「あかるく元気よく健やかに…」といったことがあり得るだろうか。ひいては、「清く正しく美しく」的な一定の価値を押し付けることにはならないだろうか? 「明朗闊達」でなく、「知的好奇心」もそれほどなく、「活動的」でもない子の居場所は、学校にはないのだろうか?
先日、毎年恒例のお祭りに、地域の小学生も参加しようという趣旨で「絵のコンテスト」が行われた。テーマは「夢」。
長男ザウルスは、「動物とお話しがしたい」という壮大な「夢」を用紙いっぱいに表現した。
親ばかながら愚息の絵心に感心した次第だが、よく見ると冒頭にはこんな文言が…。
いや、言いたいことはわかる。大人が子どもたちに託したい思いもわかる。
しかし、夢なんか誰かに「もちましょう」と言われてもつものか!? …と。そういうあなた方自身は夢をもっているのか? そもそも、子どもが夢をもてるような社会を作っているのか?
巷にあふれる美辞麗句がいちいち気になるのは、自分がひねくれているだけ?
当たり前のように大人たちが振りかざす一つひとつの「スローガン」について、なぜ?と問い、自分の頭で考える力こそが求められているのではないか。
そして、そうした力を養い育てる教育は、やはり教育委員会や校長の発する「命令」に唯々諾々と付き従うだけのロボット教員だけでは不可能であることは間違いない。
(おわり)
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