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なぜ教会の発信は信者以外に刺さらないのか

 キリスト教メディアという特殊な業界に身を置きながら常々感じているのは、教会側が発信している(伝えたい)情報と、教会の外側にいる人々が欲している(知りたい)情報との大きなズレです。

 教会のホームページや案内文にありがちな「Q&A」では、教派的特徴や聖書の用語、教義の内容に踏み込んだ解説をよく見かけますが、実際に教会を探している人々が答えてほしいと願っているのは、「駐車場はあるのか」「子連れで行っても平気か」「服装、持ち物は?」「牧師はどんな人か」といった素朴な疑問だったりするのです。

 たとえ何らかの契機でキリスト教に興味関心を持ったとしても、実際に教会の敷居をまたぐまでには相当の物理的・心理的ハードルがあります。それを和らげるためには、教会の側に相応の工夫が求められるはずです。

 まずは、外部(第三者)からどう見られているのか、何が求められ、期待されているのか――そうした自己像の検証や客観的評価、対外的な説明が必要です。教会内の人にとっては「そんな些末なことは本質的ではない」と思われるかもしれませんが、外側の人にとってはそうした発信が、どれだけ「開かれているか」をはかる重要な指標になります。

 総じて日本の教会は、「信じたい」という欲求は歓迎して受け入れてきたものの、「知りたい」という欲求には十分応え切れてこなかったのではないでしょうか。むしろ、「信じるつもりはないが教えてほしい」という願いを、暗に拒んできたのではないかと思うのです。「真理はいずれ伝わる」「わかる人にはわかる」「礼拝に来なければわからない」という独りよがりが、教会から人々を遠ざけてきた側面もないと言い切れるでしょうか。

 出版界でもよく耳にするのは、「良書なのに売れない」という関係者のぼやきです。確かに、売れる本が「良書」とは限りません。しかし、売る(伝える)ための努力もなしに内側の関係者だけで占有している限り、その発信が信者以外に「刺さらない」のは当然です。

 博報堂ケトル代表の嶋浩一郎さんは、「相手に合わせた言葉選び」の重要性を説いています。

「『内容はいいのになぜか相手に伝わらない、企画が通らない』。ちょっと待って! その思い込みを捨てることから始めよう。……やってはいけないのが、独りよがりの言葉を羅列すること。内容に自信があるときほど陥りがちだが、ここで重要なのは相手に合わせた言葉選び。年齢、役職はもちろん、提案に対する立ち位置も見極めたい」

 ここでいう「相手に合わせる」とは、妥協や迎合ではありません。「ユダヤ人に対しては、ユダヤ人のようになりました」で始まるパウロの言葉(コリントの信徒への手紙一9・20~)に示されているように、伝えたい相手に仕えるという徹底した姿勢です。

 すでにキリスト教を信じた人が「福音はこんなに素晴らしい」と押し売りしても、逆効果になる場合があります。家電売り場の販売員にたとえてみましょう。客の心理としては、強引に新商品の良さをアピールしてくるような販売員は信用できません。さり気なく側に立って、「何かお探しですか?」と「聞きたいことに答えてくれる」人、たとえ安くても(販売する側の利益が少なくても)こちらのニーズに合った商品を勧めてくれる人の方が断然信頼できます。

 信じる者としての主観を一端脇に置き、一歩退いて客観的な情報を提供する。それこそが私たちに必要な、発信の姿勢ではないでしょうか。

【動画】教会的「宣伝会議」セミナー2017
~視点を変えれば伝え方が変わる(2017.5.3)より
「なぜ教会の言説は刺さらないのか」


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