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本気で伝えたいならツイ廃パウロに倣え!

 「『知りたい』に答えて、『伝わる言葉で』」と題して『婦人之友』5月号に寄稿する機会をいただいた。

 ユダヤ人には、ユダヤ人のようになりました。ユダヤ人を得るためです。律法の下にある人には、私自身はそうではありませんが、律法の下にある人のようになりました。律法の下にある人を得るためです。……弱い人には、弱い人になりました。弱い人を得るためです。すべての人に、すべてのものとなりました。ともかく、何人かでも救うためです。福音のために、私はすべてのことをしています。福音に共にあずかる者となるためです。(コリントの信徒への手紙一 9章20~23節)

 これまでの講演でも繰り返し引用した、伝道者パウロによる書簡「コリントの信徒への手紙」の一節に基づき、なぜ「キリスト新聞社」が「信じるつもりはないが知りたい層」に向けた情報発信にこだわるのか、なぜ冷たい視線を浴びながらも次世代が聖書に親しめるコンテンツの企画・開発に尽力するのかについて持論を述べた。

 「教会に若者が来ない」とただ嘆くのではなく、「若者には若者に通じる言葉とツール」が必要です。なぜなら、意識しているか否かにかかわらず、本当に「福音」を必要としている人がこの世にあふれてるからです。とりわけ長引くコロナ禍の中で希望を失い、心身共に疲弊し、自暴自棄になってしまう人々が今後ますます増えていくでしょう。
 組織は弱体化すればするほど内向きで保守的になりがちです。しかし、「真理は我にあり」と強固な壁に囲まれた聖域に立てこもるのではなく、「伝わる言葉」と「すべての人に仕える姿勢」、さらには「伝えたいことを伝える」ことに腐心するのではなく、「にわかファン」も含む第三者が「聞きたいこと」に答える、「期待される役割を担う」という発想の転換が今こそ求められるのではないでしょうか。

 ここではだいぶ穏便に書いたが、本心では業界の行く末についてより深刻な危機感を抱いている。結局、「宣教が大事」だとか「魂の飢え渇きを覚える若い人に…」とか口では言いながら、みんな自分の教会、自分の会社、団体、自分の信仰生活のことしか考えていない。だから狭い枠を越えられないし、全然届かない。

 これまで利益を度外視して方々に声がけしてきたが、反応は決まってほぼ同じ。現場は乗り気なのに上層部に話を持って行った途端にNG。いつまで殻に閉じこもって「自主独立」みたいな幻想を追いかけてるんだろう。限られた時間とリソースを最大限有効に使うために無駄を省いて役割分担して、注力すべきところに集中的に資金とマンパワーを注ぐべき。もう一刻の猶予もないはず。

 「何でも自前でやらないと気が済まない体質」はどうにかした方がいい。結局、中途半端なクオリティの残念な結果しか生み出せず、一部の担当者が無理してやるから継続もできないという最悪の結末に……。そして、教会も例外ではない。「特別伝道集会」とか「教会コンサート」とか「無差別ポスティング」とか、旧来の手法を続けて成果も上げられず、「それでも祈れば結果はついてくる」とか「たとえ結果が出なくても継続することに意義がある」と言い逃れしながら伝道した気になっているとしたら、相当ヤバい。

 加えて言うなら、原発ムラよろしく誰も責任を取りたがらない体質もどうにかならないか。散々「できない」言い訳を絞り出して、安全な場所から冷笑系の評論をするぐらいなら誰でもできる。ここがロドスだ! 今ここで「お前が」跳べ!!

 SNSもYouTubeも、できない理由、やらない理由はもういい。苦手なら無理してやる必要はないし、やれる人に任せればいい。ただ、どうかお願いだから足を引っ張るのだけはやめてもらいたい。伝道者パウロが21世紀の現代に生きていたら、間違いなくそれらを駆使していたはずだ。でなければ、あんな長文の手紙は書かないだろう。ツイ廃かよ、と。いま問われているのは、まさにそんな「本気度」である。

 キリスト教のSNSアカウントを管理する「中の人」を集めた連休中の企画でも、そうしたマインドとノウハウを共有したつもり。

 「伝えたいこと」を教える「宣伝」か「知りたいこと」に答える「広報」か。両者を混同しないよう発信の目的、対象、手段の峻別を意識すべし。もはやデジタルネイティブにとってネット上に存在しない教会は無に等しい。牧師も教会も、想像以上に知られていないからこそ稀有で価値ある情報になり得る。まずは自身がどう見られているか。「エゴサーチ」によって容易に限りなく本音に近い声を聞き、集めれば、セルフブランディングにも役に立つ。他人の評価を「気にする」必要はないが、「知る」必要は大いにある。

 単に「信者を獲得する」ことのみを至上命題とするあり方から脱却し、格差、対立、分断に満ちた社会に、安らぎと居場所を提供しつつ、セーフティネットとしての機能も発揮できるような、「福音に共にあずかる」共同体を創り出すために、やるべきことは山ほどある。


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