10年目の回顧。(2011年7月6、7日「松ちゃんの教室」ブログ記事再掲)
地元住民の怒り
まずは、地元住民による「怒り」を参考までに紹介したい。
マスコミでも報じられるようになった幼い子を持つ親たちの不安と怒りは
察するに余りあるが、以下の文章は、かつて福島県の浜通りで教員をしていたという福島市内在住の一信徒による原発をめぐる怒りの告発である。
「慈悲の怒り」
最後は、締めくくりにふさわしい新刊を1冊ご紹介。
まさに、震災後の「怒り」をテーマとしたこの本は、あの『がんばれ仏教!』(NHK出版)を著した文化人類学者の上田紀行さんによる緊急出版。「震災後を生きる心のマネジメント」と副題にあるように、宗教者に限らず、今回の震災で得体の知れない「モヤモヤ感」を抱えている人にとっては必読の書となりそう。
…といっても、決して怪しげなスピリチュアル関連本でもなければ、お手軽な心理学や自己啓発の類でもない。著者のメッセージはいたってシンプルである。「天災と人災を明確に分け、天災による被災地の救援は徹底しつつ、人災をもたらした構造はよく認識し、変えていくべき」
その「変えるべき構造」というのが、第二次世界大戦における
敗因にも通じる責任者の精神構造。つまり……「既成事実への屈服と、権限(役割)への逃避。そして、この時期に関わってしまった『私』は、状況の『被害者』なのだと言わんばかりの精神構造」である。そして、次々と襲いかかる不安とのつき合い方については次のように提言する。
さらに著者は、ダライ・ラマ14世との対談において、怒りには慈悲の心から生じるものと、悪意から生じものの2種類あることを気付かされる。ダライ・ラマによれば、前者は有益で「持つべき怒り」だという。
読後感は、まさしくスッキリ。しかし、同時に忸怩たる思いにも駆られた。それはこの間、一般誌によるキリスト教特集が注目を浴びた折にも感じた感覚と同じもの。「これは本来、私たちがやるべき仕事だろう」と。
いや、私たちにできないことを代わりに担ってくださる方が教会外にいたと、むしろ感謝すべきかもしれない。残念ながら現代日本のキリスト教界はこの著作に匹敵するような知性も良心も、言葉も人材もまだ持ち合わせていない。それを発掘し、育て、読者と共有するのが、私たちに課せられた大きな責務である。
最後に、著書の中でも紹介されていた上田さんによる東京新聞への寄稿から。キリスト教の「すべきこと」も、ここにこそある。