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「奉仕」という名の甘え(総督)

 過労死の問題で批判にさらされた「ブラック企業」に続き「ブラックバイト」「ブラック部活」など、巷では何かと「ブラック」が横行しているらしい。世にはびこる「ブラック」は、アクの強いキョウカイブラックだけで十分だ。

 「拘束時間が長い」「理不尽な要求が多い」「一度深みにハマると抜けにくい」などが共通点として挙げられる。一連の報道を見聞きしながら、既視感を覚えた牧師や信徒も少なくないのではないだろうか。そう。教会を含むこのキリスト教業界は、はるか昔からとうに「ブラック」だったと……。

 「安息日なのに奉仕で疲れる」「夜遅くまで続く会議」「役員になったが最後、やめられない」など、真面目な信徒ほど「信仰心」が邪魔をして不平不満は言いにくい。「イエスの受難や迫害を受けた使徒たちに比べれば、わたしの悩み苦しみなど取るに足りない」と、自分を追い込むマゾ体質が強いのも教会ならでは。

 「教会内のあらゆる業務は無償で当たり前。それぞれが与えられた賜物をささげることによって成り立つのだから、報酬を求めるなど不信仰」とでも言わんばかりの圧力を感じたことはないだろうか。事務職などの有給スタッフを常駐させている教会の場合でも、どこまでが「仕事」でどこからが「奉仕」かの峻別は容易ではない。

 プロの音楽家として活動するクリスチャンのもとに、ノーギャラで仕事(奉仕)の依頼が来るという話をたびたび耳にする。ふた言目には「お金がないので……」「今まで払った前例がないので……」。

 「同じ信仰を持つ者であれば分かってくれるはず」という甘えがどこかにある。そんな懐事情を解した「関係者」であれば、快く引き受けてくれることもある。しかし、あくまで「(素人ではなく)それを生業としている人」と、仕事としてやり取りをするからには相応の厳しさも必要だ。教会特有の「善意」や「優しさ」に依存すれば、なれ合いになるのは目に見えている。

 さらに懸念すべきなのは、「奉仕なのだから出来(クオリティ)はそこそこでいい」という妥協をも生み出すことだ。もちろん、そんなユルさが必要なケースもあって当然だが、このままだと教会内では通用するが教会外のセキュラーな世界では太刀打ちできないという状況が、いつまで経っても改善されることはない。そろそろ、「献身」「奉仕」という美名のもとで「安い労働力」を酷使する教会文化は見直されるべきではないか。

 「お前だってキョウカイジャーを無給で働かせてるじゃないか」だって? わ、私は彼らを雇っているわけではない。せ、戦隊ヒーローだってお金なんかもらってないじゃないか! ち、地球を救うためなら見返りなど不要なのだ! おっと、またどこかで敵が現れたようだ(そそくさ……)。

(2017年5月27日付「キリスト新聞」掲載)

【総督】名前不明 キョウカイジャーを統括する司令塔。「神の国」建設に寄与するため、あらゆる予定調和を打ち壊し、業界の常識を覆そうと目論む野心家。地上では仮の姿でキリスト教メディアに携わる。サブカル好きの中二病。炎上体質。武器:督促メール/必殺技:連投ツイート/弱点:カマドウマ(便所コオロギ)。


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